『ナリワイをつくるー人生を盗まれない働き方』を読む

150714

カタカナなんていうのは、たいていが新語や外来語に用いられる表記だ。だからカタカナ表記は同時に、それまでに使われる語の中に適当な表現がない、という含意がある。「な り わ い」とキーボードで打ち込むと、変換候補として出てくるのは「生業」だ。それをカタカナにしたのはつまり、いわゆる「生業」の定義にカタカナを使うことで待ったをかけているのだ。さらに、サブタイトルにある「人生を盗まれない働き方」が妙に効いていて、つい手に取ってしまった。

本書の試みは、働き方や生き方に対する読み手の思考を覆す、という点にある。仕事を軸に生活を組み立てて考えていく従来型の「生業」ではなく、生活を豊かにすることを第一義に置き、それに向けて自分の仕事の有り様を考える「ナリワイ」をつくろう、これが大きな主張となっている。

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著者は言う。

100の仕事を持つという意味の百姓という言葉があるように、もともと大多数の日本人は一つの仕事じゃなくて複数の仕事を持っていた。(略)春だけ養蜂をやる、冬は藁細工をつくる、杜氏になって酒蔵に出稼ぎする、といった具合に、一人がいくつもの仕事を持つことは当たり前のことだった。(略)長い歴史の中では、大部分の人が組織に所属して単一の仕事をやるという生活様式こそが、むしろ特殊である。専業主婦も「株式会社日本」ができた高度経済成長期にたまたま出現できた身分であって、誰もが家事もするし生産活動にも参加していた歴史の方が遥かに長い。ニートだフリーターだと問題視されているが、これは今の若者がだらしない、というのは不正確で、むしろ現代の生活に適応できる人は運が良かったという評価が適当だと思う。「ナリワイをつくる」ということは、この歴史を踏まえて、人類の性質に合った健康的な仕事を再構築しようという試みでもある。

ちなみに「百姓」は中国語では百官の姓、一般市民を意味する。たくさんの名前があることがこのふた文字に凝縮されている。ところが、現代日本ではなぜか農業従事者、しかも蔑称へと矮小化した意味に置き換えられてしまった。この一語の対比をもってしても、多様性を飲み込む社会なのか、排除する社会なのかを表す気がしてならない。たくさんあるほうが断然賑やかで楽しいのに。もう一つ、引用しておく。

ワークライフバランス、という言葉には、これから競争が激しくなるんだから、ワークは健康や人生を犠牲にしてもやむを得ないものだ、という世の中の雰囲気が象徴されている。でも、本当にワークとライフを分けて、ワークは人生の負荷である、という考え方でいいのだろうか。

そもそもの出発点が違うという著者の指摘にハッとさせられる。一例としてあがっていたのは、家の建築や改修だ。今や台湾でもリノベーションは盛んだが、それを著者は、大枚はたいてプロに任せ、そのためにいつ終わるともわからない自ら巨大なローンなんぞを抱え込むより、お祭りのようにして友達にも手伝ってもらいながらワイワイやったほうが楽しくないか、という。…なんだか悔しいがそっちのほうが楽しそうだ、と思う。さらに著者は、モンゴル武者修行ツアー、木造校舎ウエディング、全国床張り協会、熊野暮らし方デザインスクール…と自分の持つナリワイの魅力を語る。

読みながらワクワクした。会社員時代にも、本をつくるだけでなく、イベントの企画運営から講演の登壇者だの、読書会の実施やらと、相当いろんなことをやっていたほうではあるけれど、軸足は会社にあった。台湾に来てからは、いろんな仕事に声をかけていただき、多方面の仕事にかかわること自体にオモシロさを感じるようになった。著者によれば「現代社会にはナリワイのネタは無限にある。なぜなら、世の中が矛盾だらけだから。何か矛盾がある以上、それを解決することを行えば仕事になる」という。読み終えてすっかり「始めてみよう」という気になったのだから、我ながら単純だ。

さて、何からやろうか。前から友達と盛り上がっていたあのアイデアを始めるのもいいかもしれない。あるいは、今はネットがあるから、台湾だけじゃなく、世界中でいろんなことができそうだ。人生、楽しんだもん勝ち。終わるときに後悔しないように今を生きよう。改めてそう思うのだった。

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