蛭子能収『ひとりぼっちを笑うな』に見る人の奥深さ。

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最初にいつ目にしたのか忘れてしまったが、なんだかいいタイトルだなあ、と思っていた。蛭子さんの『ひとりぼっちを笑うな』がそれである。

いつの頃からかテレビに登場していて、顔も名前も知っている漫画家なのだけれど、その作品は一度も読んだことがない。ただ、なんだかテレビで見かける不思議なオジサン、それがこれまで持っていた蛭子さんに対するイメージだった。

そして、勝手に、蛭子さんはポロリの人だ、と思っていた。原則としてテレビでポロリ、という表現が使われるのは、女性や男性の象徴部分をうっかり(か故意かどうかはともかくとして)公衆の面前にさらしてしまった場合を意味する。テレビのことは一視聴者に過ぎないのでよくわからないのだけれど、たいていは「放送事故」という類になるらしい。だけど蛭子さんのポロリは、そういう意味での放送事故ではない。ただ、うっかり、つい言っちゃった、テイで、それがなんだか笑いを呼ぶ。

 

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そういう限られた一面しか見たことがなかっただけに、本書で蛭子さんが語ったことは、なんだか裏切られたような気分だった。もちろん、いい意味で。数十年という長い間、テレビの世界で生き残ってきた人なんだと膝を正す気分だった。

『ひとりぼっちを笑うな』というタイトルでまとめられた本書に書かれているのは、蛭子さん自身の哲学であり、信念だ。その根底にあるのは「僕自身が自由であるためには、他人の自由も尊重しないといけない」という一貫した考え。だから、自己主張はしないし、友達を誘ったりもしないし、いじられキャラも甘んじる。余計なことをしない、それが蛭子さんの行動理念として貫かれていて、そのロジックが披瀝されている。

長崎で生まれ、東京に自由を求めてやってきた絵と映画が好きだった青年は、いつしか漫画を描くようになり、漫画で生計を立て、そしてテレビや舞台にも呼ばれるようになる。

歩んできた人生の中で考え抜かれた信念は、しっかりと磨きのかかったもので、それだけに本を読みながら、思いっきり反省した。なにしろ、蛭子さんという人のことを、誤解していたことに気づかされたのだから。

人は、往々にしてその人のことを簡単に判断しがちだ。ひとたび(ああ、この人はこういう人だな)と決めてしまうと、そのイメージが覆されることはあまりない。一度苦手だと思うと得意な相手になることもなければ、嫌いだという感情が好きと覆るにはよほどの何か起こらないとならない。

だけど、その時、もう一度思い返してみなきゃいけないことがある。その人も同じように泣いたり笑ったり、悔しく思ったり、反省したり…とにかく、自分に見えないところで、きっといろんな経験をしているんだということを。時間が経つと歩み寄れることもあれば、いつまで経っても相容れないこともある。だけど、平行線でもいい。人には見えない部分がある、ということを知る、それだけで別の誰かに、ほんの少し優しくなれるような気がする。

ほかの本のレビューでしていると同じように、どこか心に響いた文章を引用しようかと思ったけれど、今回はやめておく。響いたところはたくさんあったし、なにより、1 冊読んでとても爽やかで、緩やかな気分になったから。ひとりぼっちであることは、笑ったり笑われたりすることではない。誰かと一緒にいて疲れたりするくらいなら、最初からひとりでゆこう、蛭子さんは言う。ひとりでもいいんですよ、と。そうしてきっと、誰かと比べたり、比べられたりすることに疲れている人を「いやあ、どうかな」とかあの口調でぽつりと言いながら、それでいて寄り添うような 1 冊だった。

ひとりぼっちを笑うな (角川oneテーマ21)

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