TIDFボランティア観察記-2-台湾の言語ギャップは映画祭にも

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台湾国際ドキュメンタリー映画祭(TIDF)について当サイトでは、過去「2016 年前半は「台湾国際ドキュメンタリー映画祭」をテーマの一つに。」で TIDF にボランティアとしてかかわることを決めた経緯のほか、記事タイトルに【TIDF】として事務局発表のリリース翻訳をお届けしている。関連記事は上のメニューから「Taiwan DOC」を辿ってみてほしい。一方、ボランティアはどんなふうに TIDF にかかわっているのか、またその活動を通して感じたことを記録しておくことにした。第 2 回として映画の字幕にかかわるお話。

前回は、個人的にとても注目しているプログラム「緑のグループ(綠色小組)」の映像にまつわる話をご紹介した(記事はこちら)。いわばスタッフとして制作途中の段階で部分的に見たもので、字幕さえ付いていない状態。さらに 30 年も前の VHS(!)ということもあって、音声も映像も鮮明ではない。2 本の映像を見終わったところで、説明をしていたプログラムディレクターのリンさんが言った。

「ちょっと聞きますが、今の話、わかりました? わからないですよね。実はね、みんなわからないんですよ。それで今回、字幕スタッフを探すにあたってポイントになったのは、台湾語がわかるということでした」

実は、ここで最初に見せられた映像は台湾のメディアが放送したニュースで、使用されている言語は中国語。2 本目に見た、緑のグループが撮影したとされる市民が街頭で演説する映像で使われていたのは台湾語だった。

映画祭のスタッフは、10 代後半から 20 代後半くらいの若い世代がとても多い。彼らは、公立の学校で中国語教育が行き届いた後に生まれ育った。多くは台湾語はわからない、もしくは誰かが台湾語を聞いてはわかるけど自分では話せない、そういった言語的な背景を持つ。

台湾語の理解度や使用度合いは家庭環境にも起因する。たとえば大哥は 40 代後半、70 代の両親はどちらも台湾生まれで、家庭での使用言語は台湾語。親兄弟と話すときだけでなく、仕事関係者や友人も台湾語を使う。ところが 20 代前半の彼の従姉妹は、親は台湾語使用者なのだけれど、兄弟、そして学校や友達などとのコミュニケーションは中国語。それでも同世代に比べれば使えるほうだというのだが、「複雑な話になるとよくわからない」と話す。

こうした言語事情は映画祭の作業にも大きくかかわる。何しろ字幕を準備しなければならない。

プロセスは中国語音声→中国語字幕、つまりは文字を起こせば終わりというわけではなく、台湾語音声→台湾語の理解→中国語への翻訳→中国語字幕作成、という一段複雑なプロセスを経なければならない。先の映像でどうしてもわからない部分には緑のグループに再度確認しながら作業を進めているのだとか。いってみれば国内の作品も、外国語の字幕作成と変わらぬことになる。

こうした言語状況の複雑さは、別の作品でも見られる。たとえば、今回のインタナショナル部門と台湾部門に同時ノミネートされた黄亜歴監督の『日曜日式散歩者』は 1930 年代を映し出す。緑のグループの作品から遡ること 50 年といえば、日本が台湾を統治していた頃にあたる。リンさんは言う。

「予告編を見てもそうなんですが、作品は全編日本語なんですよね。どうして日本語だけなんだろう、ってちょっと衝撃だったので監督に聞いたんですよ。『おかしいんじゃないかな。この時代って台湾語を使ってたはずだよね?』『いや、若い人たちのコミュニケーションは日本語で、若い人と年長者の間でだけ台湾語が使われていたんだ』って言われたんですよね」

つまり、同じ台湾の作品なのだけれど、どの時代かによって作品の言語が異なるのだ。このことは、台湾映画や台湾ドラマを見たことのある人にはよく知られていることだろう。ただ、ドキュメンタリーはさらにそのことをより鮮やかに描き出している。

ちなみに今回のTIDFでは、日本からの出品作 2 本に加えて、現時点で把握している限りだが日本語使用の台湾作品が 2 本が上映される。特に台湾作品については、内容はもちろんのこと、その背景となる時代と使用言語にもぜひ注目しておきたい。

 

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