【TIDF広報・翻訳版】中国と台湾「インディペンデントドキュメンタリー映画の歩みと対話」

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タイトル:2015年台湾国際ドキュメンタリー映画祭巡回展
    「ドキュメンタリー講座〜インディペンデントドキュメンタリー映画の歩みと対話」
主催  :国家電影中心台湾国際ドキュメンタリー映画祭
開催日時:2015年8月16日(日)14:00〜16:00
開催場所:睦工場(高雄市塩埕区大勇路80号)
登壇者 :朱日坤(中国インディペンデント映画監督兼キュレーター)、
     王派彰(ドキュメンタリー映画製作者兼キュレーター)
司会  :林木材(台湾国際ドキュメンタリー映画祭プログラムディレクター)

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林木材:ご存じのように、中国と台湾のドキュメンタリー映画には明らかな違いがあります。よく台湾社会には民主制度があり、言論の自由が認められているといわれます。その点、中国はかなり違っていて、映画祭の開催にも多くの困難があります。朱日坤さんは、中国でいち早くインディペンデントドキュメンタリー映画にかかわる仕事を始めた方です。まずお伺いしますが、中国のコンテクストにおいて、インディペンデントドキュメンタリー映画とはどういうものですか。また、どのようにしてこの語ができたのでしょうか。

朱日坤:まずはこの討論に参加する機会をいただき、お礼を申し上げます。ありがとうございます。さて、中国では映画製作の歴史も、国際的な映画史に加わってからの時間も長くありません。私がインディペンデント映画にかかわる仕事を始めたのは 2001 年、「中国インディペンデント映画」という用語が理解されるようになったのもここ 10 年ほどで、それまではどんな意味かもよく知りませんでした。中国では 2000 年まで作品の審査制度はなく、体制下になく製作してできた映画は「アンダーグラウンド映画」と呼ばれていました。その後、私たちが映画祭を開催するにあたって使い始めたのが「インディペンデント映画」で、中国では私たちの経験や認識の中で定義されたといえるかもしれません。

中国映画史の初期はいわゆる「映画製作所(電影製片廠)」の時代で、民間で映画が製作されることはありませんでした。その頃の技術的な要件や審査制度との関係で、体制内にある映画製作所だけが映画を作れたからです。その後、我々のような「インディペンデント映画」が作れるようになったのは、デジタル技術、デジタルビデオ(DV)が現れたことにかかわります。中国で「第六世代の監督」 1)中国映画界では 1930 年代以降の監督を世代によって区分する。第六世代とは 60 年代生まれを中心に 90 年代以降に頭角を現した監督のことで、ジャ・ジャンクー(賈樟柯、『山河ノスタルジア』他)、ロウ・イエ(婁燁、『天安門、恋人たち』他)、ワン・シャオシュアイ(王小帥、『北京の自転車』他)に代表される。89 年の天安門事件後の映画審査の影響は大きく、また中国の資本主義への傾倒や都市と農村部の格差拡大に警鐘を鳴らす。 と呼ばれるこの時期、実はDV製作の割合が多く、ドキュメンタリー映画でも重要な部分を占めています。つまり「インディペンデント映画」という語には、映画製作所や映画学院の影響も含めて、直接的には映画審査を受けていないこと、そして最も大きな意味は「体制に依存せずに個人でつくる」ということです。

そもそも私が突如として政府機関での仕事はしたくない、自分でやろうと決めたのは 2000 年でした。実際、体制のもとで生活しないということはとてつもなく大きな挑戦で、どう生きていくか、どう生計を維持するかなど、周囲に心配されました。言うまでもなく映画製作はさらに遠くなる。我々にとっては「インディペンデント」とは、映画だけでなく、ある種の自分探し、冒険で、中国という社会で生き残っていきたいという願いなんです。私はたまたま映画に出会ってしまった。映画が好きだからこそ、特殊でほとんど前例のない道なき道を歩いているんです。90 年代には社会にもメディアにも認められていませんでしたが、2000 年あたりから受け入れられ始め、現在に至ります。

:中国には非常に厳格な映画審査制度があって、それを通過し上映許可された映画にだけ「龍標」と呼ばれる龍のマークが現れます。そのマークのない映画は基本的にインディペンデント映画に分類されます。台湾に映画の審査制度があるのかというと、あるとしても中国に比べればかなり緩いものですが、台湾のインディペンデント映画とはどんなものを指しますか。

王派彰:「インディペンデントドキュメンタリー映画」という言葉は、ハリウッドで資金的に独立した映画を指す言葉から来たものだと思いますが、台湾の場合はさほど厳密ではありません。私の知る限り、台湾でインディペンデントドキュメンタリー映画と呼べるのは「緑のグループ(綠色小組)」 2)1986 年に結成された社会運動の現場を撮影するグループ。戒厳令下にあった台湾で、政府のプロパガンダと化したテレビ報道などに対抗し、自ら「市民のメディア」と称して社会運動の前線で現場の様子を撮影し、当時の民間メディアの先駆けとなった。 だけですね。彼らは国や特定の団体から提供された資金はなく、純粋に理想のために映画を撮っていました。彼らの後、早い段階で現在の形になりました。例えば新聞社と共同で、台湾の風景、特産、風俗習慣などを撮影し、台湾代表として国際的な映画祭に出品し、各地方自治体や議会から補助金がある、といった具合です。

製作資金を得る際、ある程度は「何を撮れば比較的楽に資金が手に入るか」考えるものだと思いますが、初期の国家文化芸術基金会 3)台湾における文化芸術面での環境を整え、奨励し、水準を高める目的で設立された財団法人。前身は 1974 年に台湾教育部(日本の文部科学省にあたる)が設立した「国家文芸基金管理委員会」。96 年に台湾行政院(日本の内閣にあたる)文化建設委員会によって財団法人に改組。 やドキュメンタリー映画の補助金が「原住民」に関わる作品に多く出ていることを台湾人は恥ずかしいと思わなきゃいけない。撮影は原住民のためだと言いながら、その作品を改めて見ると利益を得たのは映画を撮った本人で、台湾原住民の立場や未来なんて変えられてないことがわかるんですから。

私はフランスにいたことがあるのですが、フランスでは「インディペンデント映画」とは呼ばないんです。ドキュメンタリー映画の精神はそもそもインディペンデントなものだと考えられていて、「オリジナルドキュメンタリー(原創型紀錄片)」という言い方で、4 つに分類されます。1 つめはずっと言われていることですが、フィクションとの違いです。ドキュメンタリー映画におけるストーリーがどういう役割を持ち、フィクションとどう違うのか。2 つめは政治的スタンスです。テレビ局や資金提供団体と同じスタンスはだめで、自分の考えを表わさなければなりません。3 つめは、普通のテレビ局と撮影方法に違いがあること。たとえばディスカバリーチャンネルのような叙事的でわかりやすい方法から脱却し、美学を兼ね備えていること。つまり、オリジナルドキュメンタリーとは、いい悪いといった既存のスタンダードで測るのではなく、絶え間なく変化し、否定されるものとされます。このように資金やテレビ局、政治的なスタンスに批判的であることがドキュメンタリー映画の精神だと思うんです。

中国のドキュメンタリー映画と比較すると、台湾は少し先を行くようですが、台湾のドキュメンタリー映画は常に感動させることに主眼があり、すぐに読み解けて、観客が簡単に近づけてしまう。これって、ドキュメンタリー映画の精神からは遠ざかっていますね。

中国インディペンデント映画の精神とは何か

:台湾でドキュメンタリー映画を撮影する場合、中国に比べると政府の資金を楽に得られます。中国のインディペンデント映画がテレビ放送もなく、公の映画祭で観られず、独自の機関や映画祭だけで露出するということは、ある種「アンダーグラウンド映画」ですよね。朱さんが創設した当初の映画祭は「中国インディペンデント映画の交流ウィーク」というものでしたが、2、3 回で形を変えました。2001 年の段階ではどんな映画祭でしたか。また、朱さんの映画祭でいうインディペンデントとはどういう映画ですか。

:中国インディペンデント映画祭もしくはインディペンデントドキュメンタリー映画祭は、ある部分、中国インディペンデントドキュメンタリー映画祭のやり方に近いです。まったくの資金ゼロ、第 1 回の映画祭では 1 銭もありませんでした。大学の校舎、国家図書館の上映室、(訳注:北京市内の)王府井にある新華書店といった公的スペースを普通に借りて会場にし、資金源はチケット売上でした。志願者を募り、チケットを売って印刷費や宣伝費にしました。第 2 回には少し資金があって、ジェンダー問題に取り組む NGO から得た 1、2 万元(= 17〜35 万円)を会場費などの基本費用にしましたが、スタッフはボランティアのままでした。その後はいくつかの団体と協力関係ができてきて、ある大学からは 20 万元の資金が提供されました。それで、我々は気兼ねなく国内外の監督や重要な関係者をお招きして討論できるようになりました。つまり、我々の映画祭の資金は大学、芸術団体、国外団体に申請して得たものなんです。

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それからインディペンデントの意味ですが、これまで映画祭で自分たちが上映したい、あるいは好きだと思う作品を選ぶことにこだわってきました。基本的には大きな干渉なく、最低ラインは守れています。ただ 2006 年と 2007 年は、政府や大学の行政部門から作品選定の干渉を受けました。今の提携団体からはないのですが、我々のいうインディペンデントとは、いってみればこの 1 点です。その団体がとりわけ大きな資金源というわけではなく、小さな映画祭ですので、資金的なことよりも、上映が保証され、映画祭の継続させるほうがずっと大切なんです。

:先ほど話に出ましたが、プログラムディレクターである王さんが作品を選ぶ立場として強調しておきたいインディペンデントの基準は、どういうものですか。

:2 つの側面があります。映画祭の場合は、当然、台湾の観客を楽しませるよう、世界中からオリジナリティのある最高の作品を探して、トーンを合わせて、なぜ選んだのか、ほかの作品とどう違うのかを伝えていきます。けれどもテレビの場合は、これがやりにくい。私のいる公共電視というテレビ局では、台湾の作品が多く、海外のものは少ないんですが、やっぱり今後の台湾映画のためには台湾作品への配慮は必要となります。局から強制されたわけではありませんが、ある種の作品を選び、撮影許可が下りた後で都合が悪くなることだってあります。けれども立場上は、政治的に中立で新境地を切り開いた作品を含め、『不能戳的秘密』 4)2011 年、李惠仁監督作品。タイトルは直訳すると「つけない秘密」。2006〜2011 年に台湾で鳥インフルエンザが流行した際、政府によって事実とは異なる実験データが公表された。本作では調査報道の手法によって検疫体制の不備やその責任を追及。当時、主要なメディアでは伝えられず、YouTube などネットを通じて真相が人々に知られることとなった。 、『公民不服從』 5)2013 年、陳育青監督作品。タイトルは直訳すると「市民は服従せず」。2008 年 3 月の馬英九の総統就任を受けた同年 11 月、台湾と中国の経済協定締結のため中国特使が台湾を訪問。滞在先から外出する特使の姿を撮影しようとした監督本人と警官とのやりとりをはじめ、国家権力と市民たちの攻防を通じて「服従しない権利」について考えさせる作品。 のようにある意味、反権力、反政府といったイデオロギーで、他局はどこも受け入られそうもない、だけどオリジナリティのある作品に出合ったら、局で多少危ない目にあったとしても、犠牲を顧みることなく放送します。趙德胤(ミディ・ジー) 6)ミディ・ジー。映画監督。16 歳の時にミャンマーから台湾へ渡り、国立台湾科技大学で映画製作を学ぶ。2015 年米アカデミー賞に外国語映画賞部門に台湾から出品された『アイス・ポイズン(原題:冰毒)』が注目を浴びる。同作は 2014 年の大阪アジアン映画祭招待作。第 10 回台湾国際ドキュメンタリー映画祭TIDFでは、初の長編ドキュメンタリー作品『挖玉石的人』が台湾コンペ部門にノミネート。 、黃信堯 7)1973 年台南生まれ。学生時代に触れた社会運動や環境保護活動、政治活動を通じて、ドキュメンタリー製作を志す。1999 年にドキュメンタリー映画について学び始め、台南芸術大学映像記録研究所を卒業。『唬爛三小』で金穗賞の最優秀ドキュメンタリー賞、2011 年台北電影節では『帶水雲』が評価を受ける。第 10 回台湾国際ドキュメンタリー映画祭TIDFでは、『雲之国』が台湾コンペ部門にノミネート。 といった監督のもので形式美学の面でほかとは違う作品とかね。そりゃリスキーだし、視聴者に受け入れられないかもしれない。視聴率は非常に厳しくて、放送翌日にだめだとなると、上から報告書を書けって言われますからね。

台湾のドキュメンタリー映画は完璧ではなくても、これまである種の気がかりを投げかけてきましたし、既存のドキュメンタリーの形式に不満があっても選ぶべきで、またそういう作品でも見せなければなりません。ただ『紀錄觀點』 8)台湾のテレビ局の一つ「公共電視」で毎週火曜日夜 10 時から放送されるドキュメンタリー番組。 のように、台湾唯一のオリジナルドキュメンタリー番組の負担はやはりすごく大きい。それでも、中国のドキュメンタリー映画を考えると、私たちはかなり恵まれています。けれども、ある種の矛盾はあって、恥ずかしいと思うんです。台湾でもその昔、抑圧され閉ざされた時代がありましたが、今に至るまで、中国のように権力や政治体制に対抗する大きな流れにはなりませんでした。今ではすべてを放り投げて冒険できない。それとは別に、中国のドキュメンタリー映画は小さな映画祭で見られますが、流通チャネルがないことにも矛盾を感じます。それは、実質的にドキュメンタリー映画が発揮すべき目的が発揮されておらず、撮ったまま引き出しに入れている感じですよね。中国ではインディペンデントドキュメンタリー映画を保存し、調査して、後世に残そうという考え方が出てきていますが、ドキュメンタリー映画の精神がやや革命と似ているという意味でいうと、朱さんには自分の革命グループや理念があるけれど、まだ土地を探している状態ですよね。ご自身の考えを伝えられない、それはつまり革命の目的が達成できていないことになりませんか。

:とても重要な問題です。個人的に、中国の現状に少し嫌気が指しているんです。大きな原因は、意味が見出せなくなっていることです。私は、努力は報われると思っていたのですが、まったく効果がありません。具体的には、切り口や美学形式にかかわらず、最低限、強固な体制を築くのではなく、それを壊して自ら社会を建設していく作品であることを望んできました。にもかかわらず、最終的にそうでないものばかり。ぶっちゃけると、中国には「インディペンデント映画監督」と呼ばれる人が大勢いて、「インディペンデント」という語を使って一定の認知を得ていきます。けれども、その人たちの目標は、どうやって映画の体制側、メインストリームやテレビ局に向かうかで、野心があってもせいぜい国際的な映画産業の中でどう成果を出すかという程度。すぐに、我々が唱えてきたこととは全く異なることに気づかされるんです。こうしたことは個別の話ではなく、中国では全体的に起きています。我々のインディペンデント映画がこれまでと違う、確かな基礎を築いているとまではいえませんが、体制に抵抗して解体するどころか、客観的に見て制度にさらに依存してしまっているのが非常に悲しいですね。

その上、「ポリティカル・コレクトネス(political correctness)」の問題もあります。たとえば、インディペンデントドキュメンタリー映画の人間が、中国の体制やマジョリティに相対することでかえって批判されないようではだめだと思うんです。なぜなら必要なのは反省です。我々の作品が皆さんになぜ未来を見せられないのか、なぜ現実に働きかけることができないのか。効果は必要ないと考えるのかもしれませんが、撮影すればいいだけのことなんです。こうしたことすべて問題なんです。もしかしたら、やり方が見つかってない、努力不足なのかもしれません。一方で、中国でドキュメンタリー映画を撮って生き残るのが最悪だともいえません。資金不足だから、台湾のようにいい映画や政治環境にないからではありません。思うに、一種の被害者意識です。自分が被害者になれば、批評からも反省する理由からも逃れることができる。こうした姿勢こそ、中国でインディペンデント映画を作ることをだめにしているように思います。

:具体例として、2014年は北京インディペンデント映画祭が当局にマークされて強制的に閉幕、開催停止に追い込まれたことが大きなニュースになりました。公安が直接、映画基金会の事務局の荷物を押収したんですよね。この15年ほどの短期間で、当局の映画への目の光らせ方は、姿勢も含めて大きく変わってきました。インディペンデント映画には限界があるし、人の目に触れる機会も少ないと思われているにもかかわらず、中国当局の姿勢がだんだん厳しくなっている原因はなんなのでしょうか。

:映画祭がスムーズに開催できたこともなければ、中国当局が文化への規制を緩めたこともなく、楽観的になったことはないんです。一度だけ、時代の変化や科学技術の進歩に対応できなかったということはありましたね。インターネットが出現した年、政府は当初、どうやって防火壁を作るかわかっていなかったんですが、しばらく経つと壁ができてしまいました。先に気づかれると、苦しむことになります。当局の動きが激しいのは以前から一貫しています。

:多くの中国インディペンデントドキュメンタリー映画を見てきた王さんから、先ほど創作ではインディペンデントの精神が重要だと指摘がありました。2014 年の台湾国際ドキュメンタリー映画祭で「中国インディペンデントドキュメンタリー映画」というプログラムを設けた時、王さんは中国を台湾における「最も近しい他者」だ、と言っていましたね。では中国のドキュメンタリー映画で、台湾にとっていちばん重要なのはどんなことですか。

:私がフランスに住んでいた 20 数年前、国際的に大きなドキュメンタリー映画際で、大量の中国作品が大きな賞を獲得していました。当時は「わ、中国ドキュメンタリー映画が立ち上がった。レジスタンスだ、スポットライトを奪ったんだ」と思ったのですが、徐々にその逆を目にするようになりました。始まりは、彼らが設定する観客は西洋人で、彼らの映画祭のために撮っていることでした。事実として、世界のドキュメンタリー映画は激しい変化が起きています。先ほどテレビ局からの資金の話が出ましたが、そうなるとインディペンデントのアーティスティックな概念はあっという間に体制に吸収されてしまいます。最近では、台湾企業がドキュメンタリー映画の監督に撮影させる「ドキュメンタリー広告」の手法が増えていますし、政治スタンスに偏らず、不公平さや不正などを暴く媒体は、フェイスブック、ブログに取って代わられています。

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これが悪いかというと、そうともいえません。プレッシャーはあるでしょうが、ドキュメンタリー映画も自分の生き残る道を探すには、違うものを撮影していかなければならないんです。我々が中国のドキュメンタリー映画特集を行った際、その大きな変化に驚きました。朱さん監督の『查房』 9)2013 年、朱日坤監督作品。第 9 回台湾国際ドキュメンタリー映画祭TIDF上映作品。2012 年 7 月、朱監督と友人が車で江西省新余市に劉萍ら 3 人の候補者応援に向かった。劉萍らは選挙に参加し、権利維持のための活動を行っていたが、常に政府の圧力を受けていた。夜 12 時、「査房」として彼らの宿泊先に警官がやってくる。その際に朱監督がカメラで記録したすべて。 や黄香監督 10)インディペンデント映画監督。作品に『烤雞』『玉門』などがある。 の作品をはじめ、伝え方、思考、コンセプトすべてに変化が見られました。あるテーマで真実を求め、どうやって映画にするか。『查房』は単なる体制の圧力ではなく、身近にあることだと気づきます。そう考えていくと、これまでの中国のドキュメンタリー映画については、その自分探しを見ているみたいなんですよね。借り物ではない形で自分たちの思いを表現しようとしている。また緑のグループの撮影した作品にはアーティスティックな視点はなく、この不公平さを撮らねば、という考えだけだったわけですが、中国のドキュメンタリー映画は、それを超えたところでドキュメンタリー映画の歴史と精神を探していこうとしているように思います。

:これまで、当局が禁止する原因は作品のコンセプトだ、政治タブーだ、暴かれたくない真実だ、だから中国共産党政権は映画を審査しようと考えたのではないか、という声を聞いてきました。ただ、作品を見ると、そうじゃないと思ったんです。中国では自分たちの創作に忠実で、ただ創作の形が一般的な映画と違っているだけです。朱さん、なぜ中国共産党は創作の世界を狭めようとするのでしょうか。

:推測ですが、中国共産党の現在の社会形態は「反美学」ではないでしょうか。建築や公務員イメージも含め、美学にかかわるものはすべて禁止なんです。非常にカッコ悪いんですが、一方で非常に一貫しています。彼らはスタンダードなモデルにずっと依拠していて、少しでも違うと異端として排除してしまう。しかも、政治的にセンシティブなことかどうかはでありません。一度、DVD を発行したくて裏の事情にも通じている出版社の人に相談したら、その人から「この映画を見てもわからない」と言われたんです。わからないってことは問題があるということなんですよね。つまり、全体的に美学をなくせば、異端ではなくなるのだと思います。

中国、台湾のドキュメンタリー映画はそれぞれの苦境をどう突破するか

:これまでお二人の話した内容は、ある部分で本質的に似ています。台湾は自由だけど、オリジナリティのあるものはすぐに体制に取り込まれる、これが台湾の製作者の抱える苦境ですよね。王さん、こうした状況下で生活を顧みずに、インディペンデントなドキュメンタリー映画をためらうことなく撮っていくのは非常に難しいと思うのですが、どのように出口を見つけていけばいいのでしょうか。

:台湾か向こう岸かにかかわらず、政治体制側は、見る側をコントロールするものだと思うんです。また、見る側も「家に帰ったら、アフリカとかエイズとか、ホームレスを扱った地味なドキュメンタリー映画なんて見たくない。もっと消化しやすいものを見たい」と言うと思うんです。ドキュメンタリー映画の資金がテレビ局から提供されるという矛盾をどう変化させるべきか、私は道は一つだと思います。それは、見る側の目を鍛えて製作者へプレッシャーをかけることです。製作者が変わりたがらないなら、見る側が不満を表せばいい。見る人たちの不満が状況を変えるんです。映画祭かテレビかに関係なく、作りたいものはすべて見る側を鍛え、視野を広げるし、台湾アーティストという名の下に見る側のイメージを制限してはなりません。私たちは、知られている問題かもしれなくても、見る側から不満が出たとしても、見る側の視野を広げるためにも、製作側は慣れた方法による作品づくりを手放していかなくてはならないのです。

このほかに放送チャンネルの問題があります。中国中央電視台(央視)にはドキュメンタリーのチャンネルがありますが、その資金源は政府です。また台湾では最近、CNEX 11)中国、台湾、香港のドキュメンタリー映画好きによって組織された非営利活動法人。文化リソースを発展させ、人材を育成し、中華社会の調和と中華文化の持続可能な発展の促進を目標に、2007年に設立された。ドキュメンタリー作品の制作、毎年の映画祭、作品出版など活動は多岐にわたる。 が有料チャンネルを開設したほかは、いわゆるドキュメンタリーチャンネルはなかったのですが、最終的に、わかりやすく殺戮シーンのないドキュメンタリー映画だけを放映するのではないプラットフォームにしていくにはどうすべきか、私たちは考えていかねばなりません。

:監督としての朱さんにお聞きします。中国で『查房』が公開上映されないとなると、製作サイドでは観客をどう想定するのですか。上映不可能という面をどうやって突破していきますか。

:これまでいろいろと試してきました。DVD もその一つで、中には 1 万枚以上、海賊版も含めると何十万枚と、発行している作品もあります。また、ネットでダウンロードする方法もありますが、容量の問題で暫定的です。『查房』については、学生が手伝ってくれて 3,000 枚ほど製作し、ほしいという人にあげていたら、すぐにそれも難しくなりました。やはり相当に審査が厳しく、特にプロモーションに協力する人が少ないんです。今もプロモーションしようとする人はいませんし、審査で疑いがあると突破できません。皆、危ない橋は渡りたくないし、好きなことに力を注ぎたいと考えるものです。中国側に歓迎される映画祭なら、話は簡単です。みんなが好きそうないい作品で、国際的に著名な監督の作品なら、大勢を惹きつけられます。けれども、問題視される作品を選ばずに自分を安全な場所に置くことは、ある意味、リトマス紙で、チャレンジ精神のなさと大いに関係します。こうした問題にどう取り組み、社会にどんな影響を与えられるか。結局のところ、中国人はまだまだ脆弱だというこの環境にとても悲観的になってしまいますね。(了)(訳:田中美帆)

台湾国際ドキュメンタリー映画祭の公式サイトで公開されている中国語の文章を、事務局の許可を得て日本語版としてお伝えするものです。中国と台湾のドキュメンタリー映画の交流の一端を感じていただければうれしく思います。

本原稿の原文はこちら↓
中國 vs.台灣,獨立紀錄片的軌跡與對話

References   [ + ]

1. 中国映画界では 1930 年代以降の監督を世代によって区分する。第六世代とは 60 年代生まれを中心に 90 年代以降に頭角を現した監督のことで、ジャ・ジャンクー(賈樟柯、『山河ノスタルジア』他)、ロウ・イエ(婁燁、『天安門、恋人たち』他)、ワン・シャオシュアイ(王小帥、『北京の自転車』他)に代表される。89 年の天安門事件後の映画審査の影響は大きく、また中国の資本主義への傾倒や都市と農村部の格差拡大に警鐘を鳴らす。
2. 1986 年に結成された社会運動の現場を撮影するグループ。戒厳令下にあった台湾で、政府のプロパガンダと化したテレビ報道などに対抗し、自ら「市民のメディア」と称して社会運動の前線で現場の様子を撮影し、当時の民間メディアの先駆けとなった。
3. 台湾における文化芸術面での環境を整え、奨励し、水準を高める目的で設立された財団法人。前身は 1974 年に台湾教育部(日本の文部科学省にあたる)が設立した「国家文芸基金管理委員会」。96 年に台湾行政院(日本の内閣にあたる)文化建設委員会によって財団法人に改組。
4. 2011 年、李惠仁監督作品。タイトルは直訳すると「つけない秘密」。2006〜2011 年に台湾で鳥インフルエンザが流行した際、政府によって事実とは異なる実験データが公表された。本作では調査報道の手法によって検疫体制の不備やその責任を追及。当時、主要なメディアでは伝えられず、YouTube などネットを通じて真相が人々に知られることとなった。
5. 2013 年、陳育青監督作品。タイトルは直訳すると「市民は服従せず」。2008 年 3 月の馬英九の総統就任を受けた同年 11 月、台湾と中国の経済協定締結のため中国特使が台湾を訪問。滞在先から外出する特使の姿を撮影しようとした監督本人と警官とのやりとりをはじめ、国家権力と市民たちの攻防を通じて「服従しない権利」について考えさせる作品。
6. ミディ・ジー。映画監督。16 歳の時にミャンマーから台湾へ渡り、国立台湾科技大学で映画製作を学ぶ。2015 年米アカデミー賞に外国語映画賞部門に台湾から出品された『アイス・ポイズン(原題:冰毒)』が注目を浴びる。同作は 2014 年の大阪アジアン映画祭招待作。第 10 回台湾国際ドキュメンタリー映画祭TIDFでは、初の長編ドキュメンタリー作品『挖玉石的人』が台湾コンペ部門にノミネート。
7. 1973 年台南生まれ。学生時代に触れた社会運動や環境保護活動、政治活動を通じて、ドキュメンタリー製作を志す。1999 年にドキュメンタリー映画について学び始め、台南芸術大学映像記録研究所を卒業。『唬爛三小』で金穗賞の最優秀ドキュメンタリー賞、2011 年台北電影節では『帶水雲』が評価を受ける。第 10 回台湾国際ドキュメンタリー映画祭TIDFでは、『雲之国』が台湾コンペ部門にノミネート。
8. 台湾のテレビ局の一つ「公共電視」で毎週火曜日夜 10 時から放送されるドキュメンタリー番組。
9. 2013 年、朱日坤監督作品。第 9 回台湾国際ドキュメンタリー映画祭TIDF上映作品。2012 年 7 月、朱監督と友人が車で江西省新余市に劉萍ら 3 人の候補者応援に向かった。劉萍らは選挙に参加し、権利維持のための活動を行っていたが、常に政府の圧力を受けていた。夜 12 時、「査房」として彼らの宿泊先に警官がやってくる。その際に朱監督がカメラで記録したすべて。
10. インディペンデント映画監督。作品に『烤雞』『玉門』などがある。
11. 中国、台湾、香港のドキュメンタリー映画好きによって組織された非営利活動法人。文化リソースを発展させ、人材を育成し、中華社会の調和と中華文化の持続可能な発展の促進を目標に、2007年に設立された。ドキュメンタリー作品の制作、毎年の映画祭、作品出版など活動は多岐にわたる。

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