『隣のアボリジニ』に見る台湾

tablet台湾に渡ってから、Kindleを利用することが増えた。出版にかかわる人間としては、できるだけ本屋で買いたいと思うのだが、日本語の書籍の入手方法がまだ定まっていない。だから iPad mini にKindle アプリを入れて読んでいる。最近買ったのは、上橋菜穂子さんの『物語ること、生きること』と『隣のアボリジニ』。cakes で読んだ作家・上橋菜穂子さんの記事がとてもオモシロく、読みたくなったのだった。小説より、物語を書く、ということや文化人類学を学んだ学生にオーストラリアでアボリジニの人たちと触れた話のほうに興味が惹かれた。

 

スポンサーリンク


 

上橋さんが豪州に渡ったのは 90 年代はじめの頃。同じ時期、わたしは大学で、南太平洋地域を研究するというサークルに所属していた。白豪主義や多文化主義などについて少ない文献を読み合わせ、議論を重ね、サークルのメンバーたちと一緒に豪州の東側を旅したこともある。ただ、当時は単語としてしか白豪主義を認識できていなかったのだ、と気づかされたのは、台湾に渡る直前に観た映画によってのこと。その映画『裸足の1500マイル』は、アボリジニの親子を隔離するという政策の下、施設に収容された子どもが、お母さんに会いたくて施設を抜け出し、追っ手の目をかわしながら 1500 マイルを歩くストーリーだ。フィクションではない。実話があり、映画のラストには大人になったご本人も登場する。1500 マイルは 2400 キロ。ちなみに日本の全長は約 3,000 キロ。小さな子どもたちが、大人たちから逃げるようにしてひたすら歩く姿になんとも言えない気持ちになった。

上橋さんが書かれた 2 冊には、豪州でのフィールドワークの様子、さらには渡豪前に持っていたアボリジニに対する「自然の掟に従って生きる、物静かな、黒い肌の人々」というステレオタイプがぽろぽろとはがれ落ちていく様子が丁寧に紹介されている。読みながら、台湾の原住民の話と重なることに気づいた。ぐっと来た個所をほんの少し、ご紹介する。

白人は、彼らの「法」を私たちに押しつけた。——アボリジニの生き方は、すべて悪いことだと、間違っていると言ってね。だけど、いいかい……もう、私たちは、部族の生き方には戻れない。戻りたくても、戻れないんだよ。そうなると、もし、わたしがキリスト教の「法」を拒んでしまったら、私は、どの道へも行けなくなってしまうだろう? だから、私はいま、この生活を受け入れているんだよ。
出典:アボリジニが星の下で生まれていた頃ーローズマリおばさんの思い出『隣のアボリジニ』

 

スポンサーリンク


 

いま生きている人々がどんな歴史を辿ってここにいるのかを詳細に知り、冷静に、多面的に状況を見て取る目をもっていないかぎり、「白人と同じ扱いをすること」が、実は決して「平等」ではないのだ、ということに気づくことが難しくなってしまうのです。
出典:文庫版あとがき『隣のアボリジニ』

留学に来たばかりの頃、タイヤル族の部落を見学するツアーに参加した。冒頭、部族の代表が語ったのは、その部落が歩んできた道のりの紹介とあわせて、ここで観たことをいろんな人に伝えてほしい、という切実な思いだった。映画『セデック・バレ』で観た婚礼の踊りをみんなで踊り、食事をいただきながら、ずっとモヤモヤした気持ちを抱えていた。それはいわば現代化された台湾で原住民が生きる難しさを感じていたからかもしれない。

上橋さんが書かれたことと、わたしが部落で感じたモヤモヤはつながっている。国際化とはなんなのだろう。一つの文化にまとまっていくことは、もう一方の文化を否定していくことなのか。ならば、国際結婚したわたしは、日本の文化を否定されることになるのだろうか。そうでない道をどうやって模索したらいいのだろう。

披露宴の日程に合わせてお祝いを日本から送ってくれた友人がいた。彼女のパートナーもまた日本国籍ではない。その彼女から届けられた一対の箸にあわせていただいたメッセージはこうだ。「どっちでもお好きなほうをお使いください。我が家では揃いのお湯のみの大きなほうを私が使ってます。慣習にとらわれず、新しいルールが作れるのが国際結婚の醍醐味です!(「ごはんはお父さんが作る」とか…)新しいルールをひとつずつ積み重ねて、楽しい家庭を築いてね」この醍醐味を味わえるように精進せねば、だなあ。

物語ること、生きること

新品価格
¥1,080から
(2014/11/27 10:55時点)

隣のアボリジニ――小さな町に暮らす先住民 ちくま文庫

 

Post Navigation