直木賞受賞作、東山彰良『流』を読む。

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読みたかった小説に、やっと出会えた、そんな読後感だった。なぜ読みたかったのか、これには少々ワケがある。

ちょうど終戦の節目にあたる 8 月 15 日は、語学留学のため台湾にやってきたその日でもある。留学前に友人から台湾に行くなら歴史も勉強しておいたほうがいいよ、というアドバイスを受けて、台湾についての本を片っ端から読んでいた。

台湾に関して書かれた日本語で読める本といっても、かなりの量だ。たとえばアマゾンの「本」から「台湾」というキーワードで検索すると 5,529 件がヒットする(2015 年 8 月 17 日現在)。さらに「台湾 旅行」とすると 460 件、「台湾 中国語」だと 272 件、対する「台湾 歴史」というキーワードでは 730 件に跳ね上がる。

この台湾の歴史をテーマにした本の多くは、通史のほか、1895 年から1945 年までのいわゆる日本統治時代のもの、政治的なスタンスが色濃いもの、おおよそこのような分類といっていい。個人的にずっと読みたいと思っていたのは、体制の流れがどうだったかとかそういう歴史ではなく、庶民の目線で語られる台湾のことだった。自分が生まれた同時代の台湾で何が起き、そこに生きている人たちがどんなふうに生きていたのか。それが知りたかった。

『流』はまさにドンピシャだった。

物語は、蒋介石の亡くなった 1975 年 4 月 5 日に始まる。その日がどんな日で、そのニュースが子どもだった自分にどんなふうに伝えられ、大人たちの様子をどう見ていたか。これでズドン、と話の中に落ちてしまった。

1975 年といえば、台湾は戒厳令下の真っ只中。作中では、戦争の傷跡がかさぶたのようにして覆いかぶさっていた。まだ大人たちが生々しく自らの体験を繰り返し口にし、それを子どもたちが聞く、そんな日々が流れていたことが記される。

主人公は葉秋生という高校生だ。不惑を少し越えたわたしの世代からすればちょうど親の世代にあたる。その彼に祖父が殺害される事件が起きる。前半は映画『モンガに散る』を観ているよう。近親者の殺害現場で第一発見者になるという強烈な体験があり、その後の成長にどんなふうに影響したのか、70 年代半ばから 90 年代前半を縦軸に、彼の身の上に起こるさまざまな出来事と合わせてストーリーが進んでいく。

スピード感あふれる筆致で描かれた作品の中の台湾は、いろんなものが今と違う。目的地に比較的すんなり連れて行ってくれる台北のタクシーはその頃、意図的な迂回は当たり前で運転も荒く、料金のネコババもよくあったこと、近頃の台湾の観光地という観光地には中国人が多いけれど、当時は手紙のやりとりさえ第三国を介さねばならなかったこと、などなど。

読みながら、時代は少しさかのぼる邱永漢『香港・濁水渓』を思った。日本で何が起きたかを知るのも大事ではあるけれど、同時に、アジアや世界で何が起きていたのかを知ることで、日本の姿が立ち現れてくる。

本作は、歴史物だし、ハードボイルドで、ミステリーで、人情物で、青春物で、どこかドキュメンタリーっぽくもある。「何者でもなかった。ゆえに自由だった」とは、内容紹介欄にある一文だけれど、だからこそいかようにも読めてオモシロい。

そうそう、『香港・濁水渓』では中国語の漢字表記に中国語の音がカタカナルビで表わされていたけれど、『流』では中国語の漢字表記に日本語の意味がルビ。著者が意識しているのかわからないけれど、中国語と日本語がわかると楽しめる要素が増すあたりも、個人的にはツボだった。

彼が戒厳令前後を書いたらどうなるんだろう、と妙に気になった。「戒厳令」という三文字をかろうじて知ってはいても、それがいったいどういうことなのか、想像さえつかない。いつか 80 年代の台湾を描いてほしいなあ。

参考)【『流』直木賞受賞記念対談】伊集院静+東山彰良

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