《老台菜》を読みながら考える台湾料理への思い違い。

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どうやら日本で見聞きしていた台湾料理は、実際に現地で食べられているものとちょっと違うんじゃないかーーそう思うようになったのは、台湾で暮らすようになってからのことだ。それまでは、なぜか台湾料理=小籠包、牛肉麺などとどこか思い込んでいた。

ところが、である。

よくよく考えてみれば、ちょっとした違和感はあった。

 

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20 年近く前、上海を旅行したことがある。大勢の行列を並んで買い、道端で食べた小籠包はとにかく絶品で、だから台湾で小籠包というのに違和感があった。上海の豫園にあるその小籠包の店は、いまも営業しているという。調べてみたら Wiki にだって小籠包は上海で生まれた料理だ、とある。つまり、小籠包は上海の食べ物だったんじゃないのか、という。

牛肉麺だって、ガイドブックでは台湾代表みたいな体で紹介されている。ところが、とある仕事で読んだ原稿に衝撃を受けた。台湾の人は、牛肉を食べる習慣が最近までなかった、というのだ(記事はこちら)。ただこれは、日本だって明治のはじめまで、たいして食べてなかったと知ることになるのだけれど(参考:肉用牛の歴史)。

じゃ、台湾料理って、台菜っていったいどういう料理なんだろう。大いなる疑問だった。それで、台湾で本屋で台湾料理にまつわる本を目にすると、その定義が気になって開いてみるのが癖になった。

旦那の実家に行った時、改めて大きくつまずくことになる。あれ?思ってた料理となんか違う、と。旦那は台北生まれのいわゆる本省人だ。その食の好みの根っこは料理好きの義母の料理にある。義母は台北生まれ、御歳 70 をとうに超える。義母の作る料理には、牛肉もチーズも入ったことがないし、料理にはバターを使わない。「うちの母さんの作る料理は、伝統的な台湾料理だよ。今の若い人たちには作れないものだね」とは義弟の談。ただ、複雑な歴史をたどってきた台湾にあって、伝統というふた文字の定義はそう簡単ではない。

その後、出会ったのがこの本《老台菜》である(本の詳細はこちら)。著者は、台湾で總鋪師と呼ばれる出張料理人だ。街角や路肩でテントを張って催される宴席の傍らで辦桌という宴席料理を作るのがその仕事。映画『祝宴!シェフ』(原題:總鋪師)のあの仕事である(公式サイト)。本書では、著者が調理の際によく用いるエシャロット、タケノコなどの食材や、粉コショウなどの調味料、あるいは宴席料理などなどが、エッセイのようにして紹介されていく。ちなみに、これらは義母もよく使う。まえがきで言う(原文は中国語)。

ある時、外国人が「台湾の料理は小吃ばかりで、メインディッシュがない」と言っているのを聞いたことがある。大いに不服だった。台湾には400年以上になる長い歴史があり、大勢が中国大陸から台湾に海を渡って台湾にやってきて、誰もがふるさとの味を伝えてきた。メインディッシュがないなんて、そんなこと、あるわけがない。

言ったのは日本人かもしれない、と思うのは邪推だろうか。それはともかく、街中のいたるところで小吃の店は見かけるけれど、家庭料理も宴席の料理も、旅行や留学だけだとなかなか触れる機会はない。日本人が台湾について知るきっかけはやはりガイドブックだが、ガイドブックには台湾料理の有名店だって紹介されているのに、いったい全体、小籠包と牛肉麺へのイメージが強化されたのは何が原因だったのだろう。

どだい、どんな本も 1 冊に書けることなんて知れているし、それですべてだと思うのはむしろ読み手としてのわたしが短絡的だったというほかない。考えてみれば日本だって、食とひと口にいっても書籍は数多ある。また紹介する側は無数の店や料理の中から、交通の便はもちろん、日本人の好みに合いそう、言葉を解さない観光客が入っても大丈夫か、安全に行って帰れるか、などとアレコレ腐心する。そんなふうに考えるようになったのは、やっぱりガイドブックの仕事の苦労を知ったからだった。

いずれにしても、上海から流れ着いた、点心料理の一つである小籠包は台湾でしっかりと生き抜いている。実際、あの有名店に惹かれる人は多く、観光客を呼べるものがある、というのもその地域にとっては大事なことだ。そういえば、肉じゃがだって今や定番料理みたいにいわれるけど、あれ、明治のころにイギリスに留学していた東郷平八郎がビーフシチューに憧れて作らせたのが起源だっていうしなあ。日本史で考えたらめっちゃ最近じゃんね。

小籠包に対する考えが一回りしたこの頃である。

 

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