心の水やり。凹んだ自分を立て直そうと本を読んだ話。

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衝撃というのは、不意にやってくるものだ。おまけに不意打ちだから衝撃度も半端ない。人によっては、衝撃を受けたときは体を動かしたり、美味しいものを食べたり、外に出かけたり、いろいろななだめ方をするんだろう。

少し前、仕事でひどくダメージを受けた。完全にコミュニケーション不足だと思っていたのだけれど、向こうは違った。わたしの仕事の進め方が「未熟だ」という。これがまた破壊力抜群の一言で、しばらく眠りの浅い日々が続き、(このままじゃ、いかん)と手に取ったのが水島広子さんの本だ。水島さんは対人関係療法という治療法を専門にされている精神科医。出されている著書 5 冊を、立て続けに、むさぼるように読んでいった。レポともまとめともつかないレビューだけれど、どれも今回のダメージだけでなく、日常のアチコチに起きていることとつながっているので、まとめて紹介する。

まずはこれ。

「対人関係療法」の精神科医が教える 「怒り」がスーッと消える本 (大和出版)

読みながら、自分が苦しんでいたポイントがよくわかった。つまり「相手の土俵に乗ってしまっている」ということ。そうかー、と妙に納得。またちょっとスッとしたのは次の一文だ。

大前提として、評価を下すことが相手への暴力だということを確認しておきたいと思います。(略)私たち一人ひとりに、自分にしかわからない事情があります。そうした事情を知らない人から何かを決めつけられると、カチンとくるものです。(略)「評価」というのは、自分なりに現実を解釈しようとする試みなのですが、往々にして相手にとっての現実とはずれているものです。それを「あたかも真実のように」相手に押しつけるのは、とても暴力的なことです。

誰かの言葉にムッとしてしまうのは、こうした評価とかかわっているのだなあとわかって、ちょっと落ち着いた。でも、怒りだけでなく、いろんな感情があるよなあ、と読んだのが次。

身近な人の「攻撃」がスーッとなくなる本

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日本語の構造もあって「察する」というのは得てして美徳として考えられているのだけれど、他者の言葉に、自分でストーリーを作ってしまうことが往々にしてある。それがうまくハマると「気が利く」というポジティブな評価になるのだろうけれど、考えすぎてかえって自分の感情に収拾がつかなくなることがある。特に相手が「よかれ」と口にすることって、実は批判だったりする。本書ではこう指摘されている。

「評論家体質」の人が身近にいる場合、自分までそこに巻き込まれて世界観を共有する結果にならないよう、注意が必要です。その第一歩は、相手の「被害者」にならないこと。「いつも否定されてばかり!」という思いを抱え続けるということは、相手の「被害者」であり続ける、ということなのです。

巻き込まれない、というのは相手との境界線をちゃんと引く、ということだ。どうやって線を引くかもきちんと書かれている。

じゃ、怒りや攻撃だけでなく、ほかの感情はどうなんだろう、と続けて読んだのがこちら。

大人のための「困った感情」のトリセツ

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怒り、不安、不機嫌、悲しみ、悔しさ、寂しさ、罪悪感といったやっかいな感情はなぜ起こるのか、そしてそれはどのように対処すればいいかが解説されている。おもしろいのは、それぞれの感情を読み替えていること。

 怒り → 「不愉快なずれがある」というサイン
 不安 → 「安全ではない」というサイン
不機嫌 → 「今は本来の自分ではない」というサイン
悲しみ → 「何かを失った」というサイン
悔しさ → 「あったかもしれない可能性」を失ったサイン
寂しさ → 「つながり」が途絶えているというサイン
罪悪感 → 「相手を思いやれていない」というサイン

人間の感情は自分を防御するために生まれるのだから、どんな感情も怖れなくていい、抑えつける必要はない、と繰り返し説かれている。その感情とどう向き合い、取り組んでいくかが大切なのだ、とわかって、なんだかホッとした。

それにしても、相手の感情を吐露された時、たまにツラくなるのはどうしてだろう、と続けたのがこちら。

誰と一緒でも疲れない「聴き方・話し方」のコツ

本書では、聴き方と話し方の前に、大前提として定義されているのは「コミュニケーション」だ。この一語が出てくるととかく、的確にまとめて話す力や、グループを盛り上げる力などが重視されがちだけれど、本書では次のように定義される。

コミュニケーションとは、人格と人格のふれあいです。私たちはそれぞれが別個の存在であり、それぞれの存在の橋渡しをするやりとりが、コミュニケーションです。

この指摘にも目からウロコだったのだけれど、その上で、ほーッとなったのはこの部分だ。

私たちは、それぞれに事情を抱えています。持って生まれたもの、育った環境、周りにいた人たちの性格や価値観、今までに体験してきたこと、今日の体調や機嫌など、さまざまな事情があります。これらの事情に基づいて、本人にしかわからない「領域」をそれぞれが持っています。そして、私たちが何かを考えたり感じたりするのはその「領域」の中でのことです。自分のことについて勝手に決めつけられたりすると頭にくるのは当然のことだと言えます。それは、自分にしかわからない「領域」にずかずかと踏み込まれているということだからです。「何もわからないくせに」「言うだけなら簡単だ」「勝手に決めつけないでほしい」などという感じ方は、領域侵害に対する反応として当たり前の感じ方です。この「領域」という概念はコミュニケーションにおいて、とても大切です。「領域」の概念をきちんと持っておかないと、自分が傷ついたり相手を傷つけたりしてしまいます。

なんていうか、わたし自身の「領域」に対する感覚は間違っていなかったんだ、と自信にもなった。ただ、そうは思っていてもなお、自分が相手の領域を侵す物言いをしていることもある、と改めて気づいた。

さらに、相手から領域侵害をされたときに、すぐに揺らいでしまう自分がいる。そこで次の 1 冊を手に取った。

小さなことに左右されない 「本当の自信」を手に入れる9つのステップ (大和出版)

水島さんの書籍を読む前から、わたしは自分を肯定する力が弱い、という自覚はあった。本書では自信を「DOの自信」と「BEの自信」に分け、身につけるのは「自己肯定感」と言われるBEの自信だ、と説いていく。ははあ、この「BEの自信」、こういうものなのねえ、と理解していく。両者の違いについては、この本の中で丁寧に語られていて、まとめてしまうと誤解を与えそうなのでここでは説明しない。

そうして、水島さんはきちんとこんなふうに書いてくださっていた。

衝撃を受けると、自信を大きく失ってしまうとお話ししましたが、立ち直り方は案外シンプルです。それは「もともとやっていたところに戻る」ということです。(略)

まずは、その日常に戻りましょう。意識を「今はこれでよい」というところに持って行くのです。自分の現状を「今はこれでよい」ととらえるのは、前進するのを放棄しているわけではありません。むしろ、もっと効果的に前進するためには、「自分はダメだ」と自虐的に自分を追い込むのではなく、「今はこれでよい」と「今」に集中することが必要なのです。

もう一つ刺さったのは、この部分だ。ちょっと長いがとても大切なので引用する。

「虐待された子」も「いい子」も、ありのままを愛されて育っていない、という点では一緒です。「自分についてのよい感じ方」というのは、自分のありのままを受け入れてもらう中で自然と身についてくるものなのです。ありのままを愛されていない人は、自分のありのままが人から愛されるなどという可能性を考えてもいません。ですから、本当の自分を知られたら嫌われてしまう、と思ってしまうのです。この問題は、人生の質を決めますので、取り組む価値がとても高いものです。そして、頭の中だけで解決するのは不可能です。解決の方向は、実体験のみ。安全で健康な人間関係の中、ありのままを愛される感覚をつかんでいくしかないのです。「自信がない人」の周りにいた人たちは、自分の評価に過ぎないものを真実であるかのように押しつけてくる人や、自分の不安をプレッシャーとして押しつけてくる人が主流だったのではないかと思います。ステップ 8 をよく読んでいただき、自分がよく知っている人たちが、実は自信のない人たちで、その問題をこちらに押しつけていただけなのだ、という構造をよく理解してください。

感情のもつれをひも解いていくと、やはりここに行き着く。わたしの場合は、親も親の親も今でいう「毒親」だった。そう気づいたのは何年か前のこと。それ以来、いろいろな試行錯誤を経て、今は周囲から「ありのままを受け入れてもらっている」という感覚が少しずつ持てるようになってきた。本当に少しずつだけど。

水島さんも書いているけれど、こういう育ち方をすると、往々にして他者からの評価に敏感なものなのだそう。しょうがないよね、それも生きてきた一部だから。子どもの頃はよく「よそはよそ。うちはうち」と言われていたけれど、あれを「他人は他人。自分は自分」としてちゃんと染み込ませていかなきゃなあ、と思う。

それにしても。

こうやって本を読みながらいつも思うのは、本が広げてくれる人生の豊かさだ。今ではネットもあるけれど、世界中にある、自分の周囲 3m なんかじゃ到底、知り得なかった考えを学ぶことができる。そうして、自分で自分に水やりができるって、なんと幸せなことかと思う。そうして、それまで縛られていた考え方から薄紙をはがすようにして自由になってきたように思う。

だからやっぱり。

読んだり書いたりしながら、伝えていく仕事が好きだし、続けていきたいんだ。今は、日本語だけでなく、中国語の世界もほんの少し、のぞけるようになってきた。そういうところから、見えている世界の角度を変えたり、新しい考えを学ぶ。そうやって人生をときほぐしていくのは、なんだかオモシロくなってきた。

人は人。わたしはわたし。

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