想田和弘著『カメラを持て、町へ出よう』を読む。

カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論 (知のトレッキング叢書)

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これまでに台湾のドキュメンタリー映画を紹介した(コチラコチラ)ので、改めてドキュメンタリーについて学んでみようと手に取ったのが本書だ。最初に断っておくが、著者の映画はネット上で確認できた予告以外、残念ながら拝見していない。本のレビューだということでご了承いただきたい。

本書は観察映画を標榜する映画監督・想田和弘さんによるもの。東京にある映画美学校で著者自身が行った講座を書き起こして再構成された。話し言葉を読みやすくした文体で、時折、受講生の質問や、受講生と一緒に講座に参加していた映画『選挙』の主役・今内さんのコメントなども挟みながら、副題にある「観察映画論」が進められていく。著者によれば、NHK でドキュメンタリー番組を手がけ、そこで得た疑問に発したのが観察映画といういささか聞き慣れない語の所以だという。

 

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本編は「自分の方法論を育てる」に始まる。ドキュメンタリーとのかかわりや、NHKの仕事で持つようになった疑問、そして自分で撮り始めた経緯や気づき、そして具体的な撮影や編集の手法、資金繰りなど、映画論という枠を大きく超えている。仕事観や思考法など、ビジネス論としても読める。

少し話がそれるようだが、台湾のテレビ番組はテロップの嵐だ。特にニュース番組では、キャスターが話している件だけでなく、別の事件や報道内容についてまでが画面の上下左右に流れてくる。ハッキリ言ってうっとうしい。日本の番組もいつの頃からかテロップが増えてきたけれど、台湾は言語環境が多様であることもあって、字幕は共通言語という機能を持つ。そのことは理解したとしても、それでもなお、多いのだ。

そもそも、こうした装飾をなぜ「うっとうしい」と思うのか。著者は端的に指摘する。

テレビのドキュメンタリーというのは必ずナレーションを書かされます。それから、音楽で盛り上げたりしますね。悲しい場面には悲しそうな音楽をポロロンと流すとか。基本的にテレビって説明過多です。だから「ここまで説明する必要があるのか?」「観客はそんなにバカじゃないだろう」っていう疑問や不満も、だんだんと芽生えてくるわけです。(本文より引用)

著者が指摘しているのは音楽やナレーションだ。言われてみると、日本で人気のあるドキュメンタリー番組には、印象的な音楽やナレーションで装飾されている。そこにある種のうっとうしさを感じる理由には、この作り手の側が観る側をどうしても連れて行きたい場所があることに一因がある。感動をもたらす効果を認められているからこそ、なおさらだ。

映画にかかわらず、文章でも絵でも写真でも、作り手の側の意図抜きに作品が生まれることはない。その意図がどうであるかが作品の質や評価につながっていく。だからこそ、誤った方向へ誘導しないようにいろんなブレーキが必要となる。映像や書かれた文章がアクセルなら、取材や下準備、編集や校閲の機能はブレーキといっていい。

著者というか監督が提示した観察という手法は、監督自身が装飾で見せる時代に突きつけたブレーキの一つなのかもしれない。読みながら改めて、観る側、読む側のリテラシーがますます問われている時代を歩いているのだ、と感じた。同時に、ドキュメンタリーというカタカナ語ではなく観察という漢字語彙を用いることによって、社会をよく見て考えることの大切さが端的に表されている、とも。よく見てよく考える、その姿勢は人が生きていく上で大事なことだ。大袈裟かもしれないけど、そう思う。

さて、先述した台湾のテレビの過剰なテロップは、過剰すぎてかえって論点が見えにくくなる。むしろ意図をかき消す役割も担っているのかもしれない。そう意図しているかどうかは別として。そう考えると、小うるさいテロップもま、いっか、と思えてきた。

 

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