杉山春著『家族幻想』にみる規範意識の見直し方。

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大人になるに従って、少しずつわかってきたことがある。それは「正しさは、時に誰かを苦しめることになる」ということだ。

たとえば「他人に迷惑をかけない」は、確かに正しい。だけど、自分がツラくなった時に誰かにそのツラさを聞いてもらうことはむしろ必要なことだ。たとえば「引き受けた仕事はちゃんとやる」は、確かに正しい。だけど、依頼者の設定がおかしな無理難題となると話は別だ。

では「親を大事にする」。これはどうだろう。そんなこと当たり前、もしくは常識、と答える人がいるかもしれない。仮にそうだとして、親との関係がうまく結べていない場合は、どうすればいいのだろう。問題ないならともかく、大いに問題がある場合は、それを遂行できない自分を責め、規範との差異に苦悩することになる。それも一度きりの人生の、かなり長い時間を使って。

上に掲げたどれも、言葉を変えれば社会規範の一つに過ぎない。規範やルールは、多くの人を束ねる場合に必要になること。それを遂行できる人ばかりならともかく、世の中にはいろんな人がいる。うまく規範に合う人ばかりではない。そしてその遂行できない事態は、実は誰にでも起こり得ることだ。間違えたり、失敗することだって含めれば、十二分に。

副題に「ひきこもりから問う」とある本書によれば、ひきこもりは、全国的な調査で 70 万人いるとされる。著者は、つまずいて、社会に出てこられなくなる事情を抱えた人たちに会いに出かけ、数多くの人の話を丹念に聞き取り、そうして見えてきた社会の歪みを、わたしたちに伝える。そうして問う。この社会の規範をこそ、見直すべきではないか、と。

本書は著者 5 冊目の著作となる。1996 年に発売された処女作『満州女塾』から本作まで、一貫しているのは、どれもどこかで家族につながっている点だ。それも近代家族という、前の社会がもたらした規範に。著者は一貫して、その大きなテーマと闘い続けている。その闘いの転換点となる考え方を知るたびに、ハッとする。今回もそうだった。

家族は共同体であると社会は考える。家族には絆があるとされ、社会的に多くの責任を負わされる。
先祖代々伝えていく家業も田畑も、資産ももたない無産階級の家族を、何が家族として機能させるのだろう。それは物語の共有ではないかと私は思うようになった。家族の物語により支えられた自尊を生き抜こうとする。だが、その物語よりも、社会の変化のスピードは激しい。現実とは合わない物語を成立させようとすれば、少しずつ嘘が交ざる。現実に直面できなくなる。そこにひきこもりや虐待が吹き出す。
殺人事件は 2012 年は 884 件。その中で、親族間の殺人で逮捕されたのは、53.5%。過半数を超える。2003 年では 42.1%だったから、少しずつ、家庭の中の暴力的圧力は強まっているともいえる。
それでも、家族は時代を超えて絆で結ばれなければならないのだろうか。
(本書より引用)

こう指摘した上で、ひきこもりについて次のようにいう。

ひきこもりの背景には、自己卑下がある。周囲の価値観が内面化されて自分を責める。「他者に優位な自分でいなければならない」「成績が良くなければならない」「他者と違ってはいけない」大人になる不安の中で、様々な価値観を、学校やメディアなど様々な場所で拾ってくる。家族から受け取る価値観は強力だ。(本書より引用)

わたし自身、親とその親から受け取った強烈な価値観に、長い長い間、苦しんできた。ゆっくりと時間をかけてその価値観や規範と自分なりに距離が取れるようになった時、自分の人生を生きたい、と考えるようになった。そして、薄皮を剥ぐようなその過程に著者の書く作品があった。

作品が、内面化された価値観に溺れかけていたわたしを救った。

一方で、社会に流れる規範すべてがなくなればいい、とは思わない。規範はあってもいい。けれども、日本の規範には、その規範に合わないことがあるということが折り込まれていない。だから皆が苦しむ。「遊び」の部分があるだけで人は、ぐんと息がしやすくなる。規範は縛るだけではなく、ほどいていい、そう思えたら、人生の歩み方はきっと変わる。

さて、実を言うと、著者との付き合いは 10 年を越える。知り合った直後に『ネグレクト』が出版され、小学館のノンフィクション賞を受賞した頃、当時わたしの働いていた版元で出す雑誌の記事のため、1 本のルポを依頼した。カメラマン氏と 3 人で取材したのは東京から離れた場所だ。そこで生じた疑問から彼女は地球の裏側まで取材に行き、「美帆さんのせいで本(=『移民環流』)を書くはめになった」と笑い話になった。この間にわたしは自分を解放する方向へ踏み出し、海外へと渡り、新しい家族をもった。

今なお、親兄弟、義兄弟や親戚など、家族に悩む人は多い。少しずつだが「毒親」という言葉で距離を取る流れも生まれきた。本書を通じて、家族という名の幻想の存在に気づき、そこから解き放たれる人がいることを願う。

家族幻想: 「ひきこもり」から問う (ちくま新書)

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