『現代中国独立電影』を読んで観て、考えたこと。

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すでに台湾国際ドキュメンタリー映画祭(TIDF)でボランティアをすることになったことなどは何度か書いてきた(こちら)。ボランティアを始めてからというもの、何に弱ったかって、とにかくいろいろとわからない、ということだった。何しろ、それまでの日常会話では出てこないような単語が会話にバンバン出てくる。そして、わからない単語のほうが圧倒的に多い。

まず不思議だったのが、台湾の映画祭に中国の作品を扱うコーナーがあること。なんで!?と素朴に疑問だった。そこで、TIDF の公式サイトにある、台湾のドキュメンタリー映画関係者と中国インディペンデント映画の関係者の座談会記事を翻訳することにした。

参考)【TIDF広報・翻訳版】中国と台湾「インディペンデントドキュメンタリー映画の歩みと対話」

辞書を引き引き、ネットを検索しまくり、ようやっと訳し終えた後で手にしたのが『現代中国独立電影』(講談社)だ。書名にある「独立電影」とは、インディペンデント映画のこと。そもそもどういう映画なのかについて、本書では次のように説明されている。2つ、引用する。

独立電影とは、英語のindependent(インディペンデント)映画の中国語訳である。日本やアメリカでいうインディペンデント映画とは、映画業界におけるメジャー資本に頼らず、もっぱら自己資金を投じて作られるいわゆる自主制作映画のことを指すが、中国の場合はそれに「国による管理体制に属さない映画」という意味が含まれる。なぜなら、中国で映画を劇場公開するためには、必ず政府の検閲を通さなければならないからだ。つまり独立電影とは、中国国内の政治的商業的な制約に縛られず、自由な映像表現をしてやろうと考える人たちが作る映画のことなのである。 (本文プロローグより)

独立電影というと、検閲に通らないような政府に批判的なメッセージがある映画だと思われがちだが、実際は必ずしもそうではない。中には、検閲に出しても問題なく通るであろう映画もあるし、現に検閲を通している独立電影もある。また、映画会社からの出資で作られていても独立電影と呼ばれる場合もあり、自主制作映画とも少し違う。こうなると独立電影の定義がわかりにくくなるが、映画祭の関係者や監督たちに言わせると、「その作品に独立精神があるかどうか」が重要らしい。これは、商業的または政治的な意味でも独立と捉えることもできるし、作家としての独自性ということもできるだろう。要するに、作った本人やそれを観た周囲の人らがその作品から独立精神を感じれば、それが独立電影だということだ。 (本文 286 ページより)

日本では 2008 年から、こうした中国のインディペンデント映画を上映する映画祭「中国インディペンデント映画祭」が開催されている。その映画祭を企画し、実行したのが本書の著者、中山大樹さんだ。

参考)中国インディペンデント映画祭 2015

全 355 ページの書籍には、中国のインディペンデント映画を作り出す監督たちと中山さんの丁寧な対話が、付属 DVD には張贊波(チョウ・ザンポー)監督の『天から落ちてきた!』、顧桃(グー・タオ)監督の『オルグヤ、オルグヤ…』、徐童(シュー・トン)監督の『占い師』が収められている。

本を読み、DVD を観終えて、改めて自分は中国についてまるで知らないし、わかっていないことがよーーーくわかった。この時点で、独立電影の監督の名前すら一人も知らないのである。そして、その監督たちが撮っているのが、どんな映画なのかすらも。

中国という広大な大地で、13 億とも 14 億とも言われる人たちが暮らす。都市もあれば内陸もあり、漢族もいれば無数の少数民族もいる。つまり、日本とはまるで比べ物にならないほど多様な人たちがいる、その場所で作られる中国のインディペンデント映画がどんな作品なのか、どんな制作状況にあるのか、監督たちがどんな思いで撮っているのか……メディアを通じては決して伝わらない中国が、監督たちの話や映像を通じて見えてきた。

読み終えた後、DVD を観た。未知の世界の扉を開いた気分だった。読んで観て、扉の内側に一歩踏み込んだ、なんだかぞくぞくするような気持ちになった。

もう一つ。中山さんが初めて日本で映画祭を開催するにあたって、何をどうしたのかについて書かれた、こんなくだりがある。

一人で始めたことで予算もなく、私は各方面との交渉から資料作り、チラシ、ウェブサイト、宣伝、字幕加工、テープの書き出しまですべて自分一人でやらざるを得なかった。字幕翻訳だけはボランティアに手伝ってもらったが、とにかく初めてのことで何かと時間がかかってしまい、ようやく第1回が開催できたのは(引用者補足:初めて日本での上映を思い立った2006年の秋から 2 年ほどの)2008 年 8 月、ちょうど北京オリンピックの真っ最中だった。 (本文より)

さらりと書かれているけれど、とんでもない仕事量である。同時に、中国作品を日本に伝える、ということの難しさを表してもいる。

世界は見えることだけで出来上がっているわけではない。日常で見えてくることなんて、ほんの一部に過ぎない。だからこそ、見えないものを見ようとすること、聞こえない声を聞こうとすること、そして自分が受け取った声を別の誰かにしっかりと伝えること。伝えるにあたっては、伝えようとする人がどういうスタンスで取り組むかによって、おのずとその後は変わってくる。

形は違えど、ライターも編集者も翻訳者も、何かを伝える立場にある。だけど自分は、本当に何かを伝えられているのだろうか。私はそんなふうに、誰かの扉を開けるような仕事をしているんだろうか。根本的な問いを投げかけられたような気がした。

中国語を学んでいる人も、中国を知っていると思っている人も、中国ってなんだかよくわからないなあと思っている人も、はたまた中国に限らず何かを誰かに伝える仕事にかかわる人も、根源から考えさせられる 1 冊だ。

なお、本書で紹介されている監督たちの作品は、TIDF でも上映されている。ちなみに第 10 回 TIDF の「中華ドキュメンタリー賞」を受賞したのは、本書に収められている『天から降ってきた!』を撮影した張贊波監督の『大路朝天』である。この作品レビューはまた後日。

現代中国独立電影

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