小川紳介著『映画を獲る』を読む

最初に断っておくが、本書の著者、小川紳介監督の映画は 1 本も観ていない。そんなヤツが小川監督の言葉を理解できるわけがない、と映画関係者からはお叱りを受けるやもしれない、と思いつつ、それでも書くことにする。

本書は、ドキュメンタリー作品を撮り続けた小川紳介監督の、語ったり書いたりしたものを総ざらいして編まれた 1 冊だ。全 336 ページおよぶ大作で、カバーや表紙、口絵など書籍で使えるスペースを余すところなく最大限に生かし、文章のほか、小川監督とその周囲の方たちをとらえた写真がふんだんに盛り込まれている。どうやって監督に迫るか、果てしなく心を砕いたことが伝わってくる。

小川監督の代表作といえば、日本の成田空港建設反対運動を撮った「三里塚シリーズ」とされている。シリーズを撮った後、山形へ移り、それきっかけでのちの山形国際ドキュメンタリー映画祭が始まった。もう、これだけで小川監督のすごさが感じられる。注文した本が届いて仰天した。まず、その分厚さに腰が引けた。だが、読み始めて一気に引き込まれた。理由は 2 つ。

冒頭の春の章に「アジア、ニッポン、そして記録映画」という節に、こんな一文がある。

侯孝賢という台湾の監督がいますよね。いま、世界的な監督だし、彼の作風は実に深く抒情性を捉えている。(本文より)

元になったのは 1988 年のインタビューだと記されている。台湾の戒厳令解除が 1987 年で、『悲情城市』がヴェネチア映画祭の審査員特別賞を受賞したのは 1989 年だから、この発言は、それより前に侯監督を知り、作品を複数見た上で、なされた発言だ。それにまず驚かされた。さらに、アジアの状況を次のように述べる。

僕らは韓国の劇映画を比較的自由に見るほど、記録映画を見ていない。しかし、大学問題や農村問題なんかが日本にもあるように、韓国にもあるはずだ。そうすると、そういうものを目にしないしあまり聞かないということは、つまり日本でも韓国の映画がすごいすごいというけれど、本当に記録映画をつくってゆく土壌があまりないとすれば、劇映画そのものが繁栄していく土壌ももろいよ。(略)
隣り合わせに住んでいる国々の映画を見るときに、ドキュメンタリーが生まれていないということも嗅ぎ取ってほしい。必ずつくれないわけはない。いい映画であればあるほど、それをつくりだした土壌のなかには、いま生きている事実があるんだもの。いま生きている人間の重みがあるんだもの。そういうものをもっと深く自由に扱うために、人はどうかしていくのであって、そのうしろにあるものがなくて、ただ出るなんてありえない。それが出てこないとすれば、何らかのひずみやゆがみがかかっている。(本書より)
(本文より)

ちょうど、台湾国際ドキュメンタリー映画祭で中国作品がかかるのを不思議に思って【TIDF広報・翻訳版】中国と台湾「インディペンデントドキュメンタリー映画の歩みと対話」という原稿を訳したばかりだったこともあり、このくだりは強く響いた。韓国でも中国でも台湾でも、自分が見たい姿だけを見てその人たちを判断するのではなく、もっともっといろいろな面も見ようぜ、そんなメッセージのように受け取り、深く共感した。

さらに「三里塚--〝農〟と撮ること」の項にはこうある。

記録映画というのは、当り前のことだけど、そこに生きてる人を撮るわけで、いない人を撮るわけじゃない。で、生きてる人ってことは、いろいろな時間を持ってるわけで、その人たちを撮らしてもらうわけですよね。そういうようなことを重ねていくと、相手の生活を撮ってさっさと帰ってくるようなことはできないですね。 (本文より)

映像とテキストではアプローチこそ違えど、台湾のことを伝える手法の多くも、単発で、一瞬で、データのようなモノばかり求められている気がしていた。それまで持っていた自分のモヤモヤを浮き彫りにし、一つの方向が見えたように思う。

さて「私論 戦後日本ドキュメンタリー映画史」の項は、こんな末尾で締められている。

記録映画にも劇映画にも、長い歴史があって、たくさんのキャリアとオーソリティがある。ところが、みんな劇映画のことは多く論じるんだけど、記録映画についてはほとんど知らない。で、多くの人は「記録映画は退屈だ、辛い、つまらない」といったりする。すると「そんなにいえるほど見てるの」って聞きたくなるわけだ。あるいは「そんなことを断定できるほど、記録映画の歴史についてあなたは精通してるんですか」と。たとえば、いまいった伊勢長之助の歴史、あるいはその前の石本統吉さんたちの歴史等々を含めてね。そういうことをいつも僕は思うんだよ。 (本文より)

このくだりは、決して映画論にとどまらない。映画を出版に、たとえば誰か個人に置き換えることもできる。世の中には自分の知らないことが途方もなくある。それをどう想像し、向き合っていくのか。はたまた向き合えているのだろうか。

今回紹介したのは、336 ページのうちのほんのちょっぴりでしかない。最初に読んで特に気になったところをピックアップしたのだけれど、きっと次に読むときはまた違う場所が響くだろう。それほど豊かで深い 1 冊だ。

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