台湾ドキュメンタリー映画《看見台灣》の齊柏林著《我的心,我的眼,看見台灣》を読む。

予告動画があんまり美しくて、どうしても劇場で観たい!と足を運んだ 1 本だった。劇場の大きな大きな画面で見た 3,000m を超える山々の連なりは、想像していたよりずっとずっと美しく、日本とはまた違った山岳風景に、ただただ見惚れた。映画が公開された 2013 年は留学してまだ数カ月。作品後半で指摘された環境破壊の詳細を知ったのは、あとで日本語字幕版を手に入れてからのことだ。

台湾ドキュメンタリー映画《看見台灣》(邦題:天空からの招待状)の齊柏林(チー・ボーリン)監督が記者会見でその続編製作を表明したのは 2017 年 6 月 8 日。わずか 2 日後の未明、台湾東部、花蓮をロケハン中のヘリが墜落、監督と同乗スタッフ 2 人が亡くなった。この事故が明らかになると、あっという間にテレビ報道はこの話題一色になった。

監督の死後、偶然にも出会ったのが本書《我的心,我的眼,看見台灣》だ。

本書は、山、川、海、街、人の 5 章構成で、それぞれを空から撮る時の向き合い方、撮影の苦労、そして自身の人生を含めた映画完成までの軌跡、製作の裏側が記されている。映画と違うのは、監督の子ども時代に遡ることで、本作を撮るに至るまでの道のりが見える点にある。そして〝人生の曲がり角を曲がった先には、何があるかわからない〟と改めて思う 1 冊だった。

空に憧れ、実は画家になりたかった柏林少年が、絵筆の代わりにカメラを持つようになったのは、高専生になってから。本書曰く、建築系の学生なら大抵は通る道として、カメラ片手にあれこれと撮った。趣味だったはずが、決定的な人生の転機が訪れて、その道を歩くようになった。

カメラマンとして働き始めたが収入が安定せず、固定給を求めて公務員試験を受けたという。そこで出会ったのが「遇見生命中的貴人」、つまりは恩人で、台湾高鐡の董事長まで務め、当時、行政院交通部台湾区国道新建工程局の局長をしていた歐晉德氏だ。

歐氏が、採用面接にやってきた柏林青年に「建設工事に興味はあるか」と尋ねたところ、小さな声で「兵役を終えたばかりで、よくわかっていないんです」と言うので、「じゃあ、何に興味があるんだ」と聞いたら「単刀直入に言って、写真です」と今度ははっきり答えた。工事記録を残したいと考えていた歐氏にとって、その答えは願ってもないものだったという。「好きなことをしっかりやりなさい」と大いに背中を押される形で、基隆から屏東まで南北を貫く北部第二高速公路の建設記録をカメラに収める仕事に就く。ここで初めての空撮を経験し、その後の 20 年以上にわたる空撮カメラマンとしての道が拓かれることになった。

空撮の難しさは、文中で何度も吐露されている。揺れに揺れるヘリの中で、水平を保つことさえ難しい。あらゆる天気情報をかき集めてなお、当日の朝になってさえ、飛ぶかどうかの判断に迷っていた。家族には言わなかったが、命の危険を感じたこともあったという。

それを押しても、空に向かう衝動は抑えきれなかったようだ。朝はぐずついていたのに、昼頃になって雲が切てくると、休日で一緒に過ごしていたお子さんたちを家に連れて帰り、すぐさま子どもを置いてカメラを持って飛び出していった。

ところが当初、「きれいだ」と撮り始めた空撮の現場に疑問を持ち始めたのは、1999 年に台湾で起きた九二一大地震の後だった。『大地地理雑誌』という雑誌の編集者が写真を借りに来る。テーマを知らないままに写真を渡していたが、記事を見て、自分の撮った写真の背景を知った。たとえば高山農業が土の保水機能を破壊すること、魚の養殖場が地盤沈下の原因になること。

美しさの秘めたる破壊を知った時の衝撃は、相当なものだったのだろう。周囲から忠告を受けながらも、現実に大きな警鐘を鳴らし、環境保護を訴える内容へと向かわせた。

--そうやって長い時間をかけて、強い思いで作られたのが、あの映画だったんだ、と改めて胸を打たれた。

また、このタイミングで読むと心がざわつくのだけれど、それでも紹介したい一節がある。監督は、あと数年で退職金がもらえる時期に、《看見台灣》製作のために自宅を担保に製作会社をつくることにした。その際、兄と慕う人と、こんなやりとりがあったという。

我常跟他討論辭職的事,他說:「你已經是四十七歲的人了,不是二十五歲,禁不起跌倒的。」我不這麼想,反而認為,正是因為已經四十七歲了,再不做些什麼,以後就沒機會了。
訳)
繰り返し退職について話し合った。彼に「もう若くない。47歳にもなって、つまづいたら立ち直れない」と言われたが、そうは思わなかった。反対に、47歳になってしまったからこそ、ここで何かやらなければ、二度とチャンスはないと考えていたのだ。(本書より抜粋。翻訳は筆者)

人生に影響を与えるものとの出会いは、人によってさまざまだ。それは誰かとの出会いかもしれないし、1 冊の本かもしれないし、1 本の映画、友達の一言、小説の一節……かもしれない。受けた衝撃に突き動かされ、心揺れ、衝撃を抱えながら人生を歩んでいく。自ら選んでいるようでいて、ひょっとしたら選ばされているのかもしれない、時折人がそんなふうに思うのは、他からの影響はコントロールできるものではないからだろう。

各種報道によれば、製作の進んでいた《看見台灣II》の今後について、関係者の間で話し合われているそうだ。どんな結果になるかは、私なんぞにはわかりっこない。ただ、もしも公開ということになったら絶対に劇場で観よう、と決めている。

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