台湾の時間に対する感覚から見えてくる日本の姿。

shijian

一般に台湾の公共交通機関はことごとく運転が荒い。タクシーしかり、バスしかり。日本だとバス停でバスがきちんと止まってから席を立ってください、危ないから、というアナウンスが流れるが、台湾は違う。止まる前に席を立ち、降り口に向かう。ついでに、できることなら料金を払ってしまう、というところまでが暗黙の了解となっている。

つい先日のこと。バスに乗っていたら、一人のおばちゃんがバス停に止まってから席を立って下車した。ドアを閉じたその瞬間、マイクを通じてビックリする運転手の一言が車内に流れた。

 

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浪費時間!

ええ、直訳すると時間のムダ、シドニィ・シェルダン的超訳だと手間かけさせんじゃねえ、何やってんだコノヤロウ、的な。乗客のほとんどは先に席を立って降りるだけ、という準備をする中で、このおばちゃんの行動は際立って見えた。ただでも、怒っているのは運転手さんだけで、乗っている人は取り立てて気にしているふうはない。

翌日、この話を台湾の友人にしたら、「ああ。だって乗っている人みんなを待たせるってことでしょ?」と言う。そうか、そういう思考になるのか。どこに焦点を当てるのか、それが微妙に違うのだ。

ついでに言うと、時々見かけるのは運転手を叱る光景。特に年配の方々が、たいていの原因は運転の荒さ。大声で「なんだこの運転は!」などと運転手に食ってかかる。

時間といえば、気づいたことがある。

それは街中で通りを歩いていて、ほとんど時計を見かけないこと。日本だと、ふと気になった時に周りを見回すとたいてい時計が見つかる。だけど、台湾で同じように見回して時計が見つかった試しがない。仕方がないので自分でスマホを取り出して時間を確認する。

同時に、それほどに時間を気にする自分がなんだかアホらしくなる。最大にアホらしくなるのは、台湾の歩行者信号に表示される残り時間を気にして横断歩道を走っているのはわたしだけだ、と気づいたとき。周囲は赤になっても歩いているか、止まって次を待っている。

MRT(台湾の市鉄)に乗るときもそう。(ああ、ヤバい!)と時間を気にして構内を走っているのはこれまた気づけば自分だけ。ドアが閉まりかけているのに、無理矢理に乗り込む姿なんてほとんど見ない。いっぱい乗ってるなー、って時は「じゃ、次のにしようか」となる。

ハテ、何を慌てていたのだろう

日本でも台湾でも同じように、 1 日は 24 時間、1 年は 365 日だ。振り返ってみると、日本での生活はどこか追い立てられるようだった。こちらでも日本と同様に〆切のある暮らしをしているけれど、なんていうか、日本ほどの切迫感はない。それはとても心地よいもので、いろんな人が台湾から離れ難くなる理由にもつながっている気がする。決定的に違うのは、台湾の人たちはデフォルトで「待てる」という点にあるのではないか。

次の 1 本を、待てるか、待てないか。あなたはどちらですか? わたしは、待てる人になりたい。

 


 

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