コペルニクス的な。

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台湾から呼ばれている、と、いつの頃からか思っていた。台湾留学を決めて以降、紆余曲折あるものの、するすると道が拓けていく感があった。奨学金がもらえることになり、提出書類に協力してくださる方があり、学校に滞在先も決まった。介護していた母の受け入れ先が決まり、築15年になる中古の自宅マンションは、ほんの少し黒字で売れた。準備は重ねてきたことだったのだけれど、それにしても、と思いながら、秋学期の入学に向けて台湾に向かったのは 2013 年 8 月 15 日のことだった。

台湾には偶然、長い付き合いの友達が複数いた。風邪を引いたときには「何か持っていこうか」と声をかけてくれ、台風のときには「しばらく出られないかもしれないから買い物しておくんだよ」と気遣ってくれた。海外という何かと不便な地で温かい気持ちになれた。ただ、来台から半年が過ぎ、そろそろ留学を終えたら日本へ帰る準備をしなきゃならんなあと思いかけたころだった。

ひどい風邪を引いた。ちょうど日本の年末年始で、高熱にうとうとしながら部屋で眺めた Facebook には、大勢が楽しそうに家族とのひとときを投稿していて、部屋の外からは、大家さん一家の談笑が聞こえてきた。人生で初めて(自分の家族がほしい)と強く思った。家族のことで長い長い間、苦しんできたし、散々だ、もう懲りた、とどこか手放しかけていた。誰かに出会ってもうまくいかない体験の数々は、あんたは家族という制度に向いていないぞ、と言われている気さえしていた。

それが、台湾に渡り、ステイ先の大げんかや親戚たちとのやり取りを見ているうちに、わたしの家族観がどこかひずんでいるのかもしれない、わたしの知っている家族なんて、たくさんある家族のうちのたった一つに過ぎないじゃないか、なぜ一つだけで“この形こそ家族だ”と思っていたんだろう、親の作った家族とは違った家族のあり方だってアリだろ、これまでの家族像を解き放していいんじゃないか——。

そして。そんなふうに、わたしにとっては家族観のコペルニクス的変動のあったちょうどその頃、一人の台湾人男性と出会った。

わたしのシチメンドクサイ話をことごとく「その見方、オモシロいね」と言う。すっぴんも手抜き料理も白髪も癇癪も「そのままでいいんだよ」と言う。自分だって忙しいのに「よーし、夕飯買って帰るよ!」と言う。初めて会ったわたしの友達に「日本語はわかる?」と聞かれて「幸せー!」と答える。わたしはもとより、日本にいる母や妹のことを心から思ってくれることがはっきりわかる言葉と具体的な行動に、とにかくこの人と歩いてみよう、と決めた。帰国して彼と一緒に会った友達の多くは「ずいぶん前から一緒にいるみたいだ」と言った。母からは「あなたの目を信じることにしました」と手紙が届いた。その後、二人で帰国して母と妹に会わせたら、泣き出した妹を見て彼も泣いていた。

そんなわけで甚だしき周回遅れですが。運命なのか命運なのか、はたまた台湾の縁結びの神様・月下老人のお導きなのか、よくわからないけれど、ワタクシ国際結婚なるものをしてみることにしました。いやあ、人生はわからんもんですな。わはは。

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