
あの青木由香さんがECサイトをオープンさせたのは、2020年5月、つまりは先月のことだそう(サイトはこちら)。月をまたいでしまったけど、サイトを訪ねてみて、ぐぬぬぬぬ、となった。そこには台湾の素敵がぎゅーっと詰まっていた。
それで思い出したのが、青木さんが2017年に出版した1冊だ。本の話に入る前に、まず「いいもの」とだけ聞いて、真っ先に思い浮かべる品物はなんだろうか。
高級なもの?
センスがいい?
値段がいい?
「いい」ってなんだろう。青木さんの『台湾の「いいもの」を持ち帰る』を見ていると、そんな疑問がふつふつと湧いてくる。「いい」の正体って、一体全体なんなのか。冒頭にはこんな一節がある。
——この本には高級なものは何もありませんが、地味でも飽きずに長く使えて台湾の空気ごと持ち帰れるセレクトばかりです。
(本書はじめにより)
考えてみれば至極当たり前なのだが、日本と台湾で「いい」とされるものは同じではない。何をもって「いい」とするかは、社会によって、文化によって、もっというと人によって個別具体に違う。
にもかかわらず、「いいもの」と聞いて高級でセンスがよくてお値段もいいものを想像してしまうのは、やっぱり「日本人のいい」「日本人がいいと思うであろう基準」という、如何ともし難く、刷り込まれてしまった物差しで考えてしまっているからではないか。そうやって本書を開いていくと、この日本流の「いい」は決して万能ではない、と否が応でも気づくことになる。
本書で真っ先に紹介されているのは、台湾の超ロングセラー商品である電鍋。昔から使われ、一家に一台、みたいな台湾の暮らしに欠かせない必需品である。2020年の今では、大同電鍋は日本に進出し、台湾だけでなく日本でも買えるし、電鍋のレシピ本も出されるほどに日本での人気を勝ち取った逸品だ。それがそもそも、1960年に東芝の技術協力で生まれた品物だ、なんて実は硬派な内容も潜ませながら、「いいもの」として紹介されている。
こうして取り上げられたる「いいもの」は日用品30品、食料品22品、衣料品7品、合計59品。どこがどんなふうにいいのか、青木さんの説明は、どれも細やかで、それでいてそばに置きたくなる気持ちをかき立ててくれる。
何より、そうやって、ひとつひとつの品物を人に紹介できるまでに、どれだけの時間と手間をかけて向き合ってきたのだろうか。そのことを考えると、気が遠くなる。
高ければいい、センスがよければいい、値段がよければいい——本当にそうだろうか。
わが家の大哥の実家にも、電鍋が2台ある。そろそろ傘寿に手が届こうかという義母は、「うちの電鍋は私が結婚してすぐの頃に買ったの」と誇らしげに言う。数えてみると、きっと発売直後だったのだろう。ふと気づいたけど、私が日本で暮らしていた頃、50年選手の電化製品なんてなかった。
おしゃれで、お値段もよいのに、10年も経たないうちに買い替えの必要なもの——本当にいいものなんだろうか。そろそろみんな、気づいているはずだ。