結婚と国際結婚は違うか

DSC_0186まだまだ先だと思っていたのに、あっという間に披露宴が近づいてきた。単純にオモシロそうだから、という理由でほとんどは台湾風なのだけど、披露宴の一部に日本式を取り入れることにした。それは会場でMVを2本、流すこと。日本では制作会社に頼んだり、友達が作ったり、自分で作ったり、いろいろだろう。わたしと大哥の場合は、これまたオモシロそうだから、というだけで、自分でやってみることにした。そんなわけで、大量の昔の写真を眺めながら、ふと思ったのは母の結婚とわたしの結婚は似ているんじゃないか、ということだった。

母は、関東から今なお電車の通らない愛媛の片田舎まで嫁いだ。東京からの所要時間は車で15時間を超える。愛媛の松山空港から数時間かかる距離で、移動には丸一日を必要とする。「東京からいちばん遠い場所に嫁いだんやねえ」と言ったら、母は笑っていた。母が暮らした20年ほどで、彼女の話し言葉はかの地の言葉が染み込み、母方の親戚が話す東京方言寄りの言葉づかいとは微妙に違う。

 

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1960年代のその地域にしては珍しく、父も伯父も東京の大学を卒業した。伯父の勤務先に勤めていた母が、父と見合いし、二人は恋に落ち、母は海を渡って結婚した。祖父母と同居し、料理上手の祖母から厳しい指導を受けながら、家事をこなした。しばらくして祖父母とは別居したが、車で10分ほどの父の実家では折につけて親戚の集まりが開かれていた。そのたびに、少し早めに向かい、祖母の料理を手伝い、配膳から片付けまで手伝っていたのは母だった。

手元の披露宴の写真には、地元の大きな商業施設で開かれたその宴席に大勢の宴客を迎え、盛大に祝った様子が映し出されている。白無垢に包まれ、お色直しもやったようだ。母が笑顔を向けた先には、誰がいたのだろうか。母の披露宴の写真を眺めながら、とはいえ当時の彼女の心細さを思った。友達のいない慣れぬ土地で、厳しかった父方の親戚に囲まれて、どんな思いをしていただろうか、と。

今のわたしも、移動に丸一日かかる場所まで海を越えて嫁ぎ、料理上手の義母がいて、頻繁に実家と行き来がある。経済的に豊かとはいえないあたりまでそっくりだ。だが、友達がいて、同居ではなく、手には仕事がある。大哥は時折言う。「俺より美帆のほうが、何もかもが違う場所に来て、大変だろうと思ってる。俺にはそれまでの仕事もあるし、友達もいるからね」この配慮、当時の父にあっただろうか。

時代が違い、インフラが違い、国が違う。確かに母とわたしは違う。だが、家々の習慣、家々の文化、家々の価値観は、そもそも違うものだ。人と暮らしていく中でベースになるであろう部分が違うということそのものは、母もわたしも違いがない。同じだと思うところから出発するより、違うというところから出発するほうが、ずいぶんと気が楽だ。これ、結婚だけではない。人と人がかかわる上において、「違う」をデフォルトに考えると、人との付き合いはもっとずっと楽になるような気がする。

 

 

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