舅舅パワー、炸裂

jiujiu披露宴には、日本と台湾、両方の参加者、合計 300 人ほどが集まった。日本人からするとこの数は一般的ではないので驚かれるのだけれど、人数がこんなにもふくらむのは、当人だけではなく、両親の友達、親戚の友達、友達の友達まで数に含まれるから。笑っていいとも!のキャッチコピー「友達の友達はみな友達だ!」みたいな招き方である。それに加えて、同世代の友人の子どもたちもいたので、なんだかにぎやかな宴となった。その席でみんなが注目した人物がいる。それは舅舅、大哥の母方の叔父である。

高粱酒に焼けたしゃがれ声、賭けポーカーでは必ずやここ!という時に素晴らしい並びのカードを繰り出してごっそり持っていき、時折小さい頃に聞いて覚えた不思議な日本語を口にし、言った後、必ずにやりと笑う。主張する時は必ず大声。大哥小哥は子どものとき、この舅舅が怖くて怖くて寄り付きもしなかったという。

 

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その舅舅の鶴の一声で披露宴にカラオケを準備することになった。散々聞き回って機材と PA をお願いした。披露宴のその日、新郎新婦、そして日本側の友人が中国語で歌う定番披露宴ソングのあと、待ってましたとばかりに壇上に立ったのがこの舅舅だった。上下淡いグレーのスーツで決めて、片手をポケットにつっこみ、不思議なリズムと音階で表現する。本人以外の皆がその歌声に度肝を抜かれているのを意に介さず、なんだかとても気持ちよさそうに。

何を隠そう、この舅舅、わたしと大哥の縁をつないだその人だ。だからというわけでなく元来、親戚のうちでも彼の立場は相当な重みを持つ。喜帖と呼ばれる招待状も、舅舅という立場だけは特別仕様で、12 折の文言が書かれた書面を使う(写真参照)。披露宴の会場となった場所は、彼がどこかで聞きつけてきたもの。日本への一時帰国から帰ってきたばかりのわたしたちは、実家に顔を出したその足で下見に行かされた。つまりなんていうか、舅舅の言うことは絶対!なんである。

舅舅は國語(=中国語の北京方言)を使わない。わたしの話す國語に「おまえの中国語はわからん。日本語で話せ」と独特のジョークを低めのしゃがれた声で言うものだから翌週、「あぐー、りほー(叔父さん、こんにちは)」と台湾語で返したら、例のにやり顔で笑った。そもそも、彼が國語を嫌うのには理由がある。二二八事件で国民党軍に父を殺された。大哥の祖父。その記憶は深く深く、彼の歴史に刻まれている。ここ台湾では言語にとどまる話ではないのだ、ということを思い知らされる。

さて後日、披露宴に参加した日本側友人の子どもが舅舅のことをこう言っていたという。「ジャイアンがいたね」。この、なんとも絶妙なるたとえに、舅舅を知る全員が涙だすほど大爆笑、ウチではジャイアンと呼ばれるようになったとかならないとか。舅舅の日本デビューは大成功! なんだか憎めないキャラのジャイアン舅舅、よろしくお見知りおきを。

 

 

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