通勤手当廃止論に思う

youyouka「来月から、うちの会社では通勤手当を支給しません」といわれたら、どうするだろう? 以前の記事で台湾では交通費、あるいは通勤手当という制度そのものがないことをご紹介した。それからしばらくして、通勤手当に対するいろんな考え方がネットをにぎわしていた。最大のきっかけは、ちきりんさんのブログ、Chikirinの日記の 1 月 10 日の「通勤手当なんて廃止すべき」というエントリだ。それを皮切りに、いろんな人が通勤手当に関する持論を展開した。

 

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通勤手当の始まり?

そもそも、通勤手当がいつから始まったのか、気になって Google 老師に訊ねてみた。すると、通勤手当の正確な始まりまではわからなかったのだが、こんなレポートが見つかった。「日本の賃金-歴史と展望-調査報告書」。こんな一文がある。

1914 年(大正 3 年)に日本が第一次世界大戦に参戦すると急激なインフレが進行する。先に示した投資財の物価指数で示せば、1912 年(大正元年)63.7、1914 年 60.6、1916 年 80.2、1918 年 133.9 となっている。この時賃金コストを抑えつつ、困難な生活を緩和する方策として、生活給的手当や実物給与が支給され、一部に生活給の概念が芽生えた。まず、物価騰貴手当、米価手当、通勤手当、住宅手当、日用品手当、食事手当などの手当として与えられた。

ちなみに、日本の鉄道開業は 1872 年の新橋ー横浜間が最初だ。そこから第一次世界大戦時のインフレ対策として大正時代にすでに通勤手当は始まっていたという。 2010 年には約 8 割を超える企業で採用されている。最近のベンチャー企業の中には、通勤手当と住宅手当抱き合わせにしているところだってあるという。

レポートでは賃金に対する考え方として「通勤手当や家族手当のような賃金項目は、労働力の対価とはいえない。なぜならば、勤務時間数や仕事の出来栄えとは関係なく支払われるものだからである」という視点が紹介されていた。(ええー?)と疑問符が沸いた。いやいや、論点はむしろ、労働力の確保なくして企業活動は成り立たないという点ではないだろうか。

東京でわたしは電車を使い、ドア to ドア 1 時間の通勤時間を費やしていた。定期代は 1 か月 1 万 2,000 円強。以前の勤務先は 200 人規模だったので、たとえば一人頭 1 万円だったとすると月額 200 万、年間 2,400 万の経費がかかっていることになる。今、平日の昼間に通っている台北の会社では、MRT を使って約 45 分かけて通っている。通勤費は月額 880 元。独断と偏見による日本レートに換算すると 7,000 円くらいだろう。ただし、これは給与内に含まれていて個人で負担している。

通勤手当と都市生活のリンク?

香港では通勤1時間を超える人が徐々に増え、同時に日本企業の制度にならって通勤手当を出す企業が出てきているという。企業が人材を確保するには、まず人の移動が前提になる。人を移動させるには、交通の発達は不可欠だ。東京のベッドタウンとして 1960〜70 年代にかけて多摩が開発された。それが今では、東海道線や副都心線などにも拡大され、1 時間半越えだって立派な通勤圏内になりつつある。そうした交通網の拡大が通勤手当支給の一般化につながった、のではないか。

そして、東京という土地での労働の前提に労働者側の移動があるのが、問題なんじゃないだろうか。台北に暮らしてみると都市そのものが圧倒的にコンパクトで、生活の距離感がまるで違う。東京での通勤 1 時間なんてごく当たり前で「通勤は 30 分」と答えると「近いね」と言うところだが、台北では確実に「遠いね」と言われる。だが、最近では、台北のお隣、新北市がベッドタウンとして開発が進んでいるという。MRT の路線が拡大していったら東京みたいになるのかもしれない、と思う。

通勤と幸福度の関係

さて、あの東京での通勤ラッシュ生活に戻りたいかと問われれば、答えは確実に「否」である。ちょっと古いがこんな記事があった。ロケットニュース24、2014 年 2 月 18 日付け記事「通勤時間は人生の幸福度に大きな影響を与えるとの調査結果 / 在宅ワーカーは幸福度が高い」

極論かもしれないけれど、電車通勤の幸福度が低いってことと、飛び込み自殺、痴漢、ベビーカー議論だって絡んでいる気がしてならない。電車による1 時間や 1 時間半の通勤を当たり前にするのではなく、距離や移動を問題にしなくて済む働き方を提案したり、勤務者の多い場所にサテライトのワークスペースを設けたりできないもんだろうか。ネットの発達でインフラがどんどんと変化してきている。だからこそ、人の移動だけが前提になるのではなくシステムの変更を考えるのは大いにアリだと思うんである。


 

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