映画『河北台北』を台湾国際女性映画祭の会場で観ながら考える。

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10 月 9 日から18 日まで、台北の華山にある光點華山電影館で台湾国際女性映画祭が開催された。主催は台湾女性映像学会という 2000 年に設立された非営利団体で、手元の資料を数えてみると、今年、上映された作品は全部で 84 本になる。

映画は好きだけれど、映画祭に足を運んだのは、数えるほどしかない。何しろ映画デビューというか、映画に開眼したのは中国語を独学で勉強し始めた 2012 年のことで、この方面はまるで詳しくなく、こうした映画祭があること自体、初めて知ったことだった。

映画祭を知ったのは、日本語字幕の校正をお手伝いした映画『河北台北』の監督からご招待をいただいたからだ(この時の話は別記事をどうぞ)。この作品は、ちょうど 10 月 8 日から 15 日まで山形で開催されていた山形国際ドキュメンタリー映画祭にもインターナショナル・コンペティションとして出品されている。

山形の公式の作品概略はこちら(日本語)
女性映画祭の予告映像はこちら(中英字幕)

映像の大半は、李念修監督自身がカメラを向け、父上の姿を15年かけて撮影したもの。ぎゅっと凝縮されているのは、父上の姿であり、人生であると同時に、中国と台湾の歴史でもある。カメラの向こうで、四六時中、悪態をつき、時折涙を浮かべながら、自分の歩んできた人生を語る父上はなぜか少し誇らしげに見えた。

映画を観たのは、最終の字幕チェック以来だから、およそ 3 か月ぶりのこと。前回はスタジオでモニターを通して観ただけだったので、劇場でお客さんたちと一緒に観ると、まったく違う感覚なのだということも、初めて知った。さながら、パソコンの画面で見ていた原稿の文字列が、ゲラと呼ばれる校正紙を経て、書店の店頭に並ぶ姿を見たときの感動に似て…なーんていっても、このたとえはきっと、本屋にしか伝わらないんだろうけれど。

会場では、字幕チェックの際にお世話になったスタッフさんたちと一緒に作品を観た。時折、父上の姿や話に、お客さんたちの笑いが漏れる。そんなことを体験できるのは、やっぱり映画だからだと思う。文字メディアだとこうはいかない、と改めて思う。

上映後、会場の参加者と監督のセッションが設けられた。父上の行動を娘といてどう感じていたのか、途中にあった映像への問い掛けなどなど、さまざまなやり取りがある。そこで監督の話を聞き、また映画への理解がぐんと深まった。ちなみに映画の中でいいなあと思っていたセリフを、監督が「父のセリフでいちばん好きなんです」と言っているのを聞いて、お手伝いできたご縁に感謝したのだった。

ところで、父上の顔が常にどこか誇らしげだったのは、カメラを向けたのが娘だったからじゃないだろうか。人生を語る自分の姿を娘がしっかり聞いている、それはきっと、父上にとって至福の時だったに違いない。語られた内容は、かなりシビアだったし、辛いものでもあったのだけれど。

そもそも、親の人生をしっかりと聞くことって、案外少ないんじゃないだろうか。李監督も「それまで父の言うことなんて、また嘘言ってるだけでしょ、と思ってたんだけど、そうじゃないことがわかった」と言っていた。親子ってたぶん、そういうものなんだろうと思う。だからこそ、その親子の線を越えて、父親の足跡をたどった李監督の姿に皆が心打たれるのかもしれない。

一人の人生でもあり、中国と台湾の歴史でもあり、親子の対話でもある本作品。観たらきっと、一緒に観た誰かと、いろんなことが話したくなる 1 本だ。今回は台湾での上映なので、当たり前だが日本語字幕はない。だから、日本語の字幕の付いた状態で、日本のお客さんがどういう反応するのかが観てみたい。もっといろんな人に観ていただけたらなあと思うのだけれど、どうしたらいいんだろうね。こういうのって。

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