中国ドキュメンタリー映画《大路朝天》を観る。

最初に本作を観たのは、2016 年 5 月に行われた台湾国際ドキュメンタリー映画祭(TIDF)だった。台北新光影城の 300 人ほどが入れる大きな劇場が、少なく見積もっても 8 割は埋まっていたのは注目度の現れだろう。結果として、中国ドキュメンタリー映画《大路朝天》(張贊波監督)は、第 10 回台湾国際ドキュメンタリー映画祭の「華人紀錄片獎」(中華ドキュメンタリー賞)をかっさらった。2016 年 11 月 4 日から台北で行われている台湾の映画アワード金馬賞のドキュメンタリー部門にノミネートされていると知り、一度きりしかない上映を改めて観に行った。

上映中、会場から悲鳴があがったのは金馬も TIDF も同じだった。

作品が映し出すのは現代中国の高速道路建設だ。省都・長沙をもつ湖南省の西側、懷化市一帯がその舞台。建設にまつわるトラブル全般に対応するセクション「項目部」に所属する孟さんを追いかけつつ、建設の実態があらわになっていく。

欧さんという名のおばあちゃんの困った顔から、本作は始まる。

なぜ困っているのか。高速道路の建設用地にあたる家の裏山で、基礎を作る前段階として地盤の爆破が行われているのだが、爆破の場所と家があまりに近く、もれなく石くれが吹き飛んでくる。ついにはその石が屋根に落ち、天井にこぶし大ほど(に見えた)の穴ができてしまった。雨が降れば当然、そこから雨が降り込んでくる。欧さんの息子さんが工事業者に抗議するも、「俺たちの仕事じゃない」とすげなく返されてしまう。

そこで出てくるのが孟さんだ。彼が息子さんと直接話して、賠償金の支払いと、その金額を決める。

孟さんの対応するトラブルの相手は周辺住民だけではない。工事関係者も含まれる。高速道路建設には基本、高架橋が作られる。頑丈な橋にとってまず重要なのは橋脚の基礎だ。その基礎を作るには、なんといっても地中に杭を打つための穴を掘らねばならない。穴の深さは十数メートルに及ぶ。工事中、事故は何度も起きているようだった。作品では、工事関係者同士のケンカが起き、工事道具でケガをした人たち(1人ではない!)の入院している痛々しい姿が映された。その姿に、会場からは悲鳴に近い声があちこちから漏れていた。

参考)首都高速道路「事業の進め方 工事手順(高架部)」

孟さんは工事関係者に「入院費もその後の生活費も心配するな」と言うのだが、実際には支払われる様子が見えない。たまりかねて家族や本人が項目部にやってくる。あまりにラチがあかず、トラックのタイヤの前で体を張って抗議するシーンもあった。

道路のために、墓も廟も取り壊され、工事現場ではタバコ、紅包(ご祝儀袋)がやり取りされる。あるいは騒ぎが大きくなって「項目部の人間は一人で出歩くな」とお達しまで出る。接待や項目部内の会議の様子まである。

中国人の撮る中国の実態は、あまりに生々しく、凄みあふれるものだった。

中国の経済発展の向こう側には、こういう日々が重ねられているのかと暗澹たる気持ちになった。だが、かといって中国を非難する気には到底なれない。かつての日本が歩んできた道を思った。事情や発生の仕方は異なるだろうけれど、道や橋ができていくその過程は美談だけではなく、苦労を背負った人はいたはずだ。だから、問わずにはいられない。経済発展とはなんだろうか。

ところで、張贊波監督には同じテーマの書籍もある。《大路:高速中國裡的低速人生》(八旗文化)というタイトルの、A5 変形判で 413 ページにもなる本書は、2014 年の開巻年度好書賞と放映週報十大電影専書、2015 年の台北国際ブックフェア大賞を獲得している。

参考)大路:高速中國裡的低速人生

大学時代は文学青年で詩集を出したかったのに、まさか道路をテーマに書くことになるとは思わなかったという監督の筆致は、とても丁寧だ。映画で描かれていた内容だけでなく、撮影に至る背景や内部事情を撮ることができた理由、撮影時のエピソードが盛り込まれている。といっても、分厚すぎてまだ読み終えられていないのだけれど。

5 月の TIDF での上映後、監督ご自身も言っていたけれど、欧おばあちゃんが今、どうしているのか気になっている。高速道路を眺めながら何を考えているだろうか、と思うんである。

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