40代留学で学んだ違いの受け止め方

taidaはっきり言って、不惑を越しての海外留学は不安だらけだった。世代がまるで違う人たちのクラスに入るのだってそう。授業についていけるかどうかまったく自信がなかった。実に久しぶりの学校生活、記憶力の低下、理解力の低下……何もかもが下り坂にさしかかる中で上り坂の人たちと一緒に学べるのだろうか、と。

なんのことはない。まったくの杞憂だった。むしろ学ぶことの多さと言ったら!

 

スポンサーリンク


 

新学期、担当になった先生が宿題に関する注意事項を説明していた。言っている意味がわからず、「先生、よくわからないのでもう一度言ってください」と発言したら、前列に座っていた全員が振り返って「作文したらそのすぐ下を1行分空けておいてね、って言ってるんだよ」と口々に教えてくれた。

入学したばかりの頃は、あまりのできなさから劣等感に苛まれていた。しばらく苦しんで、だんだんアホらしくなり、とうとう開き直った。開き直ることができたのは、若いクラスメイトのおかげだった。

「大姐(読み:だーじえ、意味:アネゴ)、大姐だけじゃないですよ。みんなそれぞれにできないなあとか、難しいなあとか思ってるんですよ」

同じように先生の話を聴いているにもかかわらず、それぞれに理解度は異なる。理解できている内容もできることもそれぞれだ。文法はよくできるけれど聴解が難しいという人、聴解はいいけど文法難ありって人、発音はきれいで文字が苦手な人、よく話せるのに聞けない人……という、クラスの中の違いが見えるようになったのは、その指摘を受けてからのことだ。

誰かができて自分ができないと、すごく恥ずかしいことのように考えていた。強烈に覚えているのは、小学校 2 年生のときの九九の小テスト。毎回 100 点を争う相手がいて、あるときうっかりミスで 1 問間違えて負けたとわかった瞬間、大泣きしたことがある。そんなしょーもない話を覚えているくらい、自分にとっては大きな出来事だった。確かあれ、二の段だったと思う(しつこい)。おまけに、通知表をもらう日にはできないところをネチネチと叱る親の元に育ったので、できない=だめ、という公式ルールが思いっきり強化された。

できなくてもいいんだ、できないことがあってもいいんだ、と思えるようになったのは、実を言うとものすごく最近だ。そのくらい、自分を肯定するのはとても苦手なことだ。前の会社でいろんな人たちに出会って、いろんなことを教わり、ゆっくりゆっくり肯定することを学んできた。さらに、あるクラスメイトの話を聞いて、目から鱗が落ちた。

「わたしは、あの人は文法がすごいな、あの人の発音はきれいだな、声調がしっかりしてるな、って、いいところを見つけるんです。そして、よし、あの人のまねをしよう、あの人みたいになろう、って思うようにしてるんです」

 

スポンサーリンク


 

それまで、自分が向かっていた「あの人はああできるのに、自分はできない」「この人のように話せない」という否定形の嵐ふきすさぶ考えを、軽々と一蹴された気分だった。20 代のクラスメイトから学んで自分を立て直すことができた。そういえば学ぶまねに由来する語だ、と聞いたことを思い出した。

彼女の言う通り、クラス授業のよさは違いを学ぶことができるという点だ。こんなこともあった。非漢字圏のクラスメイトは漢字と格闘している。で、日本人は漢字があるからいいよな、と言う。「教科書には英文があるじゃない。それに日本語と中国語は文法が全然違う。動詞の位置が違うのは大きな問題なんだよ。だから例文を考えるのに時間がかかる。あなたは漢字が難しいけど文法が簡単、わたしは漢字は簡単だけど文法が難しい、どっちも課題があるってことだよ」と返すと「そっか。日本人の漢字の力と、ぼくの文法があわされば、完璧な中国語になるのにね」と笑った。

留学して半年もすると、わたしの開き直りにはオバちゃんの磨きがかかって、ダダすべり確実と確信までしているボールも、思いっきり投げられるようになった。すべっても芸人ばりに「おいしい!」ってね。遠慮せず、わからないと言う。誰かと比較して自分を責めるのをやめた。誰も笑ったりしない、安心して間違えていい、と勝手にクラスメイトと先生を信じることにした。

1 年間、留学して得たことの一つは、この、人と違っていいという価値観だったように思う。日本の生活でたたき込まれていた人と違うことに対する劣等感が、少しずつ、薄紙を剝がすようにして溶けていった。違うのはだめなことじゃない、と気づかせてくれた年若のクラスメイトに、感謝している。

 

 

スポンサーリンク


 

Post Navigation