台湾映画《百日告別》に観る、死の存在を知るということ。

20151204

死はいずれは誰しもに訪れるもの。その点では公平で平等なのだけれど、大きな違いがある。それは死へのプロセスだ。死産、病死、自死、過労死、事故死、爆死、戦死、殺人…自死のほかは自分で自分の死を選択できない、というのはやはり人というものの業なのだろう。その業は、おそらくほぼ例外なく、亡くなる人の周囲をも巻き込むことになる。

台湾映画《百日告別》(邦題:百日草)は、最愛の人の死をどう受け入れるかが、大きなテーマとなっている。物語は、同じ交通事故の現場で最愛のパートナーを亡くした主人公ふたりが、到底受け入れ難いその事実と格闘し、ゆっくりと受け入れていく様が描かれる。

 

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あまりにも突然に起きた出来事をどこか淡々と描きながら、突き放そうにもそうできない、そのただ中にいる主人公ふたりの姿は、見ているこちらまで苦しくなるほど。直後ではないその時に突如として押し寄せる悲しみ、どうにもならない事実の受け入れ難さだけでなく、時間の経過とともにゆっくりと向き合っていく姿を丁寧に見せていた。

主役を演じた林嘉欣(カリーナ・ラム)は、本作で、今年の台湾映画アワード「金馬獎」で最優秀女優賞を獲得した。また、脚本と音楽は、受賞には至らなかったものの、数ある映画の中からノミネートされていた。本作の林書宇(トム・リン)監督は、自身が妻を失った体験を持っている。その喪失の体験は、映画のあちこちに宿っているかのようだった。そうそう、エンドロールの編集には台湾ではおなじみの監督、鈕承澤(ニウ・チェンザー)、戴立忍(ダイ・リーレン)の名前もあった。

ちょっと興味深かったのは、主人公たちが 7 日ごとに訪れる寺での読経シーンだ。最初に訪れたと思われるシーンでは、周囲の読経のペースにもまったくついていけず、経文を読むのさえままならない様子だったのに、時間の経過とともにだんだんと上手に読めるようになっていく。その読経の声は、まるで歌を歌っているようなトーンだったのが、日本で見られる読経とはまるで違っていて、とても印象的だった。ちなみに、石頭はさすがの音程とリズムで、むしろ最初の下手な読経のほうが難しそうだったのだけれど。

ところで、邦題の「百日草」を逆に中国語にすると「百日菊」という。花言葉をまとめたサイトによると、百日草の花言葉はふたつあって、ひとつは「不在の友を思う」、もうひとつは「注意を怠るな」だそう。百日菊の場合は、色によって、花言葉が異なる。日本語と同じ意味なのは複色のもの。白や濃い赤はまた違った意味を持つようだ。

もうひとつ気になって調べたことがある。映画で使われた曲、ショパンのエチュード 25 番の 1 だ。調べてみると、エチュードってピアノ演奏の技術を磨くための「練習曲」という意味なのだとか。とあるサイトの解説によると、ショパンのエチュードには 27 曲あって、難易度でいうと映画で使われていた 25 番の 1 は「やや易しい」に分類されるそう。ふーむ。

人の死がめっきり見えなくなった、と言われて久しい。そんな中で、映画やドラマを通じて死を考えるのは、ある種、現代的な死の認識の方法なのかもしれない。となると、パートナーや親しい誰かの死を扱った本作を観るのは、やっぱり、その日のための練習ってことなんだろうか、となんだかドキリとした。

本作は東京国際映画祭のクロージング作品でもある。日本でも一般公開されるのかしら…されるといいなあ。今(2015 年 12 月 3 日現在)ならまだ台湾でも上映されているけれど、ううむ。いつまでかなあ。いろんな人が観られますように。

 

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