上阪徹のブックライター塾に参加してきました。

160618先日、講談社のサイト「現代ビジネス」に 1 本の原稿が載りました。タイトルは「135 万部のベストセラー『嫌われる勇気』はこうして生まれた~構想 16 年、初版 8000 部からの挑戦」です。

東京で行われたこのインタビューの場に、台北在住の私も同席しました。会場となったのは、上阪徹のブックライター塾という塾です。

2016 年前半、私は 2 つのことに挑戦していました。その 1 つがこの上阪徹のブックライター塾の受講です。全 4 回の講義のため 4〜5 月の週末に 3 度、一時帰国していました。とっても幸せな帰国でした。

ブックライターとは、その人に代わってその人のことを書いて本にする仕事です。

たとえば A 社の社長。ビジネスの陣頭指揮を執るのが社長の仕事で、書くことは本業ではありません。たとえば映画監督。映画を撮るのが仕事で、これまた書くことは本業ではありません。でも、社長や監督という特異な視野から得られた知見は、ほかの誰かにとっての学びになります。その知見を広く世に伝えたい。でも社長だから監督だからといって原稿が書けるわけではありません。伝えるためには筆力がどうしたって必要です。そこでブックライターの出番です。書くことを本業にする人がいて、社長や監督の知見を文章にする人がいて、初めてたくさんの人へと伝わる形にできるのです。ブックライターは、固有の人の体験を、皆でシェアし、社会的資産にしていく仕事ともいえます。

塾長である上阪徹さんは、『プロ論。』、『会話は「聞く」からはじめなさい』『なぜ今ローソンが「とにかく面白い」のか』など、数々のビジネス書のブックライティングを手掛けるブックライターの第一人者です。今は月に 1 冊というペースで本を書いているそう。さらに手がけたうちの 7〜8 割が増刷になるという実力をお持ちです。年間出版される一般書のうち、増刷される書籍は約 1〜2 割といわれますから、上阪さんの数字がいかに桁違いかが想像できると思います。

塾では、上阪さんから直々にブックライターとしての仕事の詳細と勘所を教わりました。演習がふんだんに取り入れられた授業では、事前課題に始まり、取材コンテ、2,000 字原稿、目次コンテ、10,000 字原稿と、ブックライティングにあたって必要なプロセスを、タスクとして順にこなしていきました。課題を先行して与え、できなかった部分への気づきを学びにしていく、日本語教育でいうタスク先行型の授業スタイル。私を含めた塾生 29 人の課題は毎回シェアされ、上阪さんから丁寧なフィードバックを受けました。講義としては 4 回でしたが、塾前から約2か月、ものすごーーく濃密な時間でした。

冒頭の原稿は、塾長自らが古賀史健さんにインタビュー、それを間近で聞いていた 20 数人がライターとして立候補し、選考の結果、横山瑠美さんのリード、村上智子さんの本文が採用されたものです。私も立候補して見事落選しましたが、この原稿がどれほど素晴らしいかは身をもって知る一人です。

『嫌われる勇気』は台湾でも翻訳版《被討厭的勇氣》が書店に平積みされ、大いに売れています。昨日行った誠品書店では、一般書の 1 位として面チンされてました。その古賀さんの手によって生み出された 1 冊にまつわるストーリーが、村上さんの丁寧な筆致で綴られています。そして、上阪さんの聞き出したインタビューは、本の世界にかかわる一人として、また仕事をする一人として、大いに響くものがありました。ぜひ読んでみてください。

ところで、台湾に暮らす私がなぜブックライター塾に行ったのか。

前職だったアルク時代から含めると、約 20 年、日本語教育という分野を中心に編集の道を歩いてきました。台湾に暮らすことになってからも、おかげさまで貴重な機会をいただいてきました。ただそれは同時に、これまで培ってきたスキルでは越えられない部分に気づくきっかけともなりました。塾を通じて、一人あれこれ散らばっていた思考に大きな楔を打ち込んでいただきました。

自分と違う人、自分ではない誰かには、また異なる思考と豊かな知見があります。それを文章や本にという形にしてほしい、という方がいらしたら、ぜひお手伝いさせてください。もちろん台湾にもまた、日本とは違った思考や知見がたくさん詰まっています。それを伝えていきたい、と思っています。

長くなりました。挑戦の次なる 1 つについてはまた後日。何はともあれ、たくさんのご縁に心からの感謝を込めて。

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