台湾ドキュメンタリー映画《四十年》を観る。

2016 年東京国際映画祭の開幕に合わせたんだろうと勝手に思っているのだけれど、台湾で劇場公開されている台湾ドキュメンタリー映画《四十年》を観てきた。70 年代台湾の音楽シーンと現在を行き来する作品で、どこか日本にも共通する部分が感じられた。

2015 年 6 月 6 日、小巨蛋と呼ばれる台北ドームでコンサートが行われた。この日、舞台に立ったのは、1970 年代に一世を風靡した「民歌」の歌い手たち。民歌とは、フォークミュージックを意味している。この集いを呼びかけたのは、フォークの母(民歌之母)とされる陶曉清で、映画の監修も携わっている。さかのぼること 40 年前、1975 年 6 月 6 日に現代フォークの父、楊弦をはじめとしたミュージシャンが台北の中山記念堂で「中國現代民歌の夜」というイベントを行った。これが台湾ではフォークブームの始まりであり、同時に本作の一つの舞台回しになっている。

台湾で 1975 年といえば、蒋介石が他界したその年だ。前後でいえば、71 年に国連を脱退し、72 年にアメリカとの国交断絶(台湾では「斷交」という)、蒋経国政権がスタートした時期ということになる。日本の歴史年表では「日中国交正常化」とされるその前後に、すぐ隣の台湾もまた、冷戦の波間にもまれていた。

そうして、歌が生まれた。

フォークブームが始まった当初の歌詞には「長江」「龍」と中国大陸を思わせる単語が出てくる。彼らが歌ったのは、1949 年に蒋介石とともに台湾に渡った親の世代に色濃く流れる郷愁だ。悲しみや懐かしさ、回顧など、多くが台湾から大陸を思う。時間の経過とともに、次第に歌詞もそれと限らぬものへ、メロディーも明るいものへと変化していく様子が、映像からも伝わってきた。

歌は中国語(國語)で奏でられている。当時、学校では中国語教育が行われ、学校や公の場で台湾語を使うことは禁じられていた。わが家の大哥はフォーク世代の一回り以上下だが、彼の学生時代もまた、台湾語を話すと罰を受けたそうだ。映画の中で複数の曲が台湾で発禁になったことが紹介されていたが、そういう時代的社会的背景がある。

それから 40 年という月日が流れた。当時 10 代だった人たちも今や還暦前後。アメリカに渡った人、中国で暮らす人、今なお同じ場所で次の世代たちと生きる人などなど、それぞれの物語が紹介されていく。

映画を見ながら、日本なら、吉田拓郎、井上陽水といった世代にあたるのだなあと感じていた。劇中、ボブ・ディランの影響を受けたのだと誰だったかが語っていたけれど、拓郎さんも同じく彼に影響を受けたとされる。余談だけれど、そう思い至ってようやっとボブ・ディランがノーベル賞を受賞、ということが理解できた。

時間的空間的距離はあるものの、歌が生まれ、それを共有する人たちのつながりはなんだか少し、わかる気がする。誰と一緒にカラオケに行くのがいちばんおもしろいかを考えればいい。きっと、同世代の同じ時間を過ごした人たちだ。

何年か前に学生時代のサークルの OB 会に参加した時のことを思い出した。2〜3 歳下くらいまでの後輩たちとブルーハーツで大いに盛り上がったのだが、10 歳以上下の後輩たちは困惑を見せていて、彼らが盛り上がったスピードには乗れない自分がいた。なんともバツの悪い思いと同時に、歌がつなぐものの違いはあるんだなあと感じたもんである。つまり、90 年代と 00 年代とはかくも大きな差だ、というわけで。

話を元に戻そう。今でこそ、台湾の音楽シーンで台湾語や原住民の音楽が自由に歌われる。本作は、今につながる時間の流れを振り返るだけでなく、音楽にも時代的社会的コンテクストが色濃く影響することを示している。そう感じた作品だった。

なお、台湾では 10 月 14 日から各地で劇場公開中。台北ではそろそろ終盤戦。まだの方はお早めに劇場へ。

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