北京か台北か。中国語を学ぶ選択

beijing日中首脳会談がおよそ 2 年半ぶりに実現した、という。首脳会談って、本人たちはどうだか知らないけれど、通訳者や周囲の準備に携わっている人たちはきっとものすごく大変だろうな、と思いつつ、ミーハーなので横からのぞいてみたいな、などとのん気なことを考えてしまう。政治と民間レベルでの日中関係の乖離は、いろんなところで指摘されているし、政治的なことをどうこういう立場ではない。ただ、こういう話が自分とまったくもって無関係かというと案外そうでもない。たとえば「中国語を学びたい」という人とも関係する。じゃ、どうかかわるのか。今日はこのテーマで書いてみる。

 

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ちょうど 2 年前の2012年11月、人生初、中国・北京へ行った。それまで上海、杭州、香港、廈門、大連には行ったことはあるけれど、首都北京は機会に恵まれずにいた。行きたかった理由としてはごく単純で、友達に会う+故宮と万里の長城観光、そして留学先決定の材料探しだ。

その頃、中国語圏に留学する、ということは決めていたけれど、大いに迷っていたことがあった。それは留学先を北京にするか台北にするか、ということ。周囲に中国語の語学留学をしたいと言ったときの第一反応は「じゃ、北京?」だった。確かに中国語教育では北京が名高い。だが、あんまり具体的なイメージができずにいた。

行ってくるか。

 

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中国事情に明るいわけではなかったから、直前になったわかったのだけれど、わたしが北京に行った翌日から、全人代(全国人民代表大会)が開かれた。街は厳戒態勢、普段は通れる道がいくつも封鎖されていて、ただでさえだだっ広い街をてくてくてくてく、余計に歩くはめになった。北京が緊張感をもった時期を見られる、それはそれで貴重な体験だった。

2012年は中国とも台湾とも、日本は関係がよくなかった年だ。最大のテーマは魚釣島だ。中国でのデモが激化し、国旗が焼かれる様子や、けが人の姿が日本のテレビで幾度となく映し出される。さらに、万里の長城で日本からの旅行者が亡くなった、というニュースも飛び込んできた。家族が言った。「留学先が中国ってなんか心配」

はたと気づいた。中国に行くと、その間中、家族を常に心配させるってことに。現地でどれほど自分が楽しんでいたとしても、繰り返し同じような映像が映し出される。ずっとその思いを家族に抱えさせるのか——出した答えは否、だった。

 

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もう一つ。

北京から北京の考え方を知るよりも、ほかの地域から北京を見たほうが視野が広がるんじゃないか、と思っていた。つまり、視点をどこに置くか。地方出身だからなのかもしれないけれど、東京の理屈は時に地方でまったく通じない。四国から東京を見るのと、東京で四国を見るのは違う景色になる。その経験から考えると、台北から北京を見るほうが、よっぽどアジアが見えるんじゃないか、そう考えた。

実際、台湾という日本とは国交がないものとされる場所に暮らし、いろいろな壁を感じる。ただ、日常には思いやりがある。多少すっ転んでもなんとかなる、そう思えたのは台北だった。

言語面では確かに違いがある。文字は同じようで違うし、ドラマを観たって発音の違いは明らかだし、生活語彙には結構な開きもある。だから、北京にいれば台湾の発音はよそ者として認識され、台北にいれば北京の発音はしっかりとよそ者で大陸人の扱いを受ける。だが、それは北京と台北だけの話ではない。東京と大阪みたいな、アメリカとイギリスみたいな、ケニアと南アフリカみたいなもんだ。きっと。対岸から見える景色は、対岸に行かないとわからない。大事なのは、対岸がある、って認識できることじゃないか。

学ぶのは中国語なのだから、やっぱり王道の北京で学ぶのがいい、そう思う人もいるだろう。発音だって標準とされるほうがいいさ、と思うかもしれない。留学したその場所で学ぶのはきっと、語学だけではない。そこをどう判断するか。さらに、台湾にしかない言葉の景色がある。それがまたオモシロい。どちらが正しいという話ではない。一つの選択には、いろいろなものがくっついてくる、という話。誤解なきよう。

 

 

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