翻訳と経験と編集の関係。

qiao以前は出版元で編集の仕事をしていた。おかげさまで雑誌やら書籍やら作る際に、大勢のフリーランスの方とお仕事をご一緒した。編集のイロハは、どちらかというと社外の方に教わった感が強い。ライターさんの書く原稿に何度もしびれたし、撮影の際の編集の仕事はフリーのカメラマンさんから教わり、イラストレーターさんと話す時に誌面イメージやコンセプトを伝えることが必要なのだと教わった。そのプロセスで幾度となく聞いたのは、「編集って言ってもね、会社によって編集者によってやり方が違うんだよ」ってことだった。たとえばジャンルが違うと編集の有り様も変わる。ずっとかかわってきたのは語学教育、しかも日本語教育というニッチなジャンル。だから漫画や小説、テレビドラマなどで扱われる編集者像とはいろんな意味で違った。

長々とこんなことを書いているのは、翻訳にもいろいろあるからだ。少し前までかかわっていたサイトのお仕事で扱っていたのは、文芸の翻訳作品だった。いまの会社で手がけているのは実務翻訳といってまったく違うジャンル。老闆(=社長)から許可を得たので、ちょっとご紹介しよう。

 

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これまでに扱った文章のタイプは、各種ビジネスメール、契約書、社内規則、プレゼン資料、人事考課表、ウェブサイト、漫画、テレビドラマの字幕、MSDS(化学物質の取扱説明書)など。とにかくいろんなタイプの文章だ。世の中には、たくさんの文が、ことばが、アチコチにあるのだと日々目が見開かれる思いだ。

以前の仕事で知った専門用語にスキーマという語がある。文脈や背景知識、経験など、言語を選択する際に下支えとなる部分のことで、ざっくりいえばバックグラウンド全般を指す。日々、多種多様な文章と向き合いながら感じるのは、このスキーマがフル回転している、ということだ。

第一に、これまでの経験が生きている。自分が会社の中で経験したビジネス文書がどんな構造でどんなふうに書かれていたか。特に社内文書を大量に読んでいた。それが今、確実に生きている。
第二に、その文書単体ではなく、文書の背後にどんな相手がいて、どんな文脈で書かれたものなのかがわかると、視界が開けるようにして書いた人の言いたいことが見えたりする。
どちらも、思い込みで判断してはいけないことではあるけれど、これらがないとかえってヘンテコな文章に仕上がる。

それから、自戒として記しておく。翻訳は編集とは似て非なるもの。長年の思考グセで、原稿を読みながら(こうするともっとよくなるのになあ)などと、どうしても思ってしまう。自分が入り込もうとする。悪いクセだ。翻訳と編集は、誰かに伝える、人と人の間に橋を架ける、という大きな大きな枠組みは同じなのだけれど、手法や立ち位置などはちょっと違う。より伝わる形への成形ではなく、どう置き換えればその人の主張により近い形になるかにココロを傾けなければ。デフォルトで自己主張が強いので、まったくもって日々是修行なんである。

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さて今朝、この原稿を書きながら、ふと思い立って昔お仕事をしたある方のサイトを久しぶりにのぞいてみようとググったら、まさかの訃報に触れた。しかも、記されたのは去年の日付け。57歳だったという。信じられない。立体イラストレーターの宇都宮潔さん。雑誌の表紙で、特集で、本当にお世話になりました。ただただ、ご冥福をお祈りします。

 
 

 

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